「シンヤ君の好きなカードってなに?」 「特にないです。強いて言えば汎用性の高いカード全般かな」 「じゃあ好きなデッキは?」 「特にないです。強いて言えば【グッドスタッフ】。対応範囲が広いから」 「カードゲームは好き?」 「前はそれほどでも。あ、最近は好きですよ」 「なんで?」 「対戦相手に恵まれてますから」。聞いたのは西川皐月である。最後の解答に少し安堵すると同時に、一瞬だけなにか、他とは違う何かを声色から感じ取る。しかしそれは一瞬の紛れであり、皐月はそれ以上深く追求しなかった。

 容姿普通。成績普通。出自平凡。平凡な人間だと思われていた。少なくとも、元村信也自身はそう思っていた。そしてそれは大半の人間にとって事実だった。彼がカードを握る前、仮に投身自殺に及んだとしても、「意外だった」「普通のやつだったのに」と本心から言われる程度の人間だった。いや、今でさえ、彼を知る大多数の人間はそういうに違いない。退屈な話だ。

 ふと鏡をみて思う。誰も「元村信也」という看板に付加価値を見出さない。「僕だってそうだ」 「僕だってそうさ」。どこに出しても恥ずかしくないほど平々凡々で、誰が金を払って「元村信也」を買うものか。パックを買って元村信也が当たったところで誰も喜びはしないだろう。レベル4の獣族、攻撃力は1600、守備力1800、相手の効果で破壊されるとカードを1枚引ける程度の代物。いや、それならまだいいさ。実際は《アックス・レイダー》だ。用途不明の効果モンスターを狩れるけど、狩れるだけのモンスター。《邪帝ガイウス》にも、《見習い魔術師》にも、《ゲール・ドグラ》にも、ましてや《混沌幻魔アーミタイル》になんてなれやしないモンスター。事故った場末のコンボデッキ相手に押し切ってそれだけのモンスター。

 「元村信也」を用いたコンボは有り得るか。一見するとゴミクズのようなカードでも、たとえば《ソロモンの律法書》には可能性が秘められている。現状生かす余地はみあたらないが、しかしなんらかの可能性はありそうだ。未来が薄汚れた過去を覆すかもしれない。少なくとも夢は持てる。見果てぬ夢を。しかし《アックス・レイダー》に可能性はない。断言してもいい。正気のデッキに《ソロモンの律法書》と《アックス・レイダー》をいれれば《アックス・レイダー》の方がマシだろう。しかし《アックス・レイダー》はどこまでいったところで《アックス・レイダー》のままだ。元村信也は年が10にも満たぬ内にそれを分かっていた。分かっていたというよりはむしろ、過剰に絶望していた。元村信也は鏡から目を離し、溜息を洩らす。モンスターとしての「元村信也」に可能性はない。レベル1モンスターの方がまだマシだ。こっちには? 半端には「ある」。レベル4、攻撃力1700程度には「ある」。だから、それがどうだっていうんだ!

 元村信也は考える。必要なこととは? カードゲーム全盛時代、翼川高校カードゲーム部は彼に光明をもたらしていた。個性的な先輩、個性的な対戦相手、それになにより、カードというツール。それは彼に処方箋を与えた。攻略困難な山の存在は付加価値を与える。それにカードはカードだ。カードには危うさがある。表と裏を巡るこのゲームには危うさがある。勝てるのだ。あの西川瑞貴にだって「裏返してしまえば」勝てるのだ。そして勝つことができれば賭け金は自分のものになる。そこでは《アックス・レイダー》であることがむしろいい。倍率の高さは折り紙つきだ。しかしそれには勝たなければならない。勝って、出来るなら勝ち逃げすることが望ましい。二度目は不味い。魔法が切れる。難儀な勝負だ。だけど、だけど、これ以上最高なことって他にあるか? 事実だ。既成事実さえ有ればいいんだ。最高じゃないか。

 彼は処方箋に示された薬を服用し続けた。それは彼に充実感を与え続けた。しかしそれは同時に、麻薬でもあった。副作用の存在。それに薬というものは、いつだって根本的解決にはならないものだ。

                           ――――

「えーと、なにやってるのかなサツキちゃんは……」
 回復して外に出た皐月が最初に目にしたものは裏コナミの決闘狂人5名と戯れる(?)姉の姿だった。一瞥してから約30秒後、皐月はポケットからボールペンを取りだすとペン先を出さずに床にあて、横に線を引いた。ペン先を出していないのだから実際にはみえない線。しかし「線が引かれた」という事実を皆が忘れない限り、そこには線が引かれたことになる。瑞貴は嫌な予感を覚えつつその行為を見守っていた。
「それじゃあお達者で。姉さんをよろしくお願いします」
「まって。なに、なにその線は。なにその不吉な線は」
「いや、自分に被害が及ぶ前に逃げようかなって」
「私の心配は?」 「姉さんなら大丈夫じゃない? 馴染んでるから」
 瑞貴の顔が青ざめる。一旦振り返って裏コナミを一瞥、更に青ざめる。
「サツキ!」
 皐月は悪戯っぽく笑った。姉のそういうところは新鮮だった。
「冗談だって。それに、線があるなら飛び越えてこっちにくれば?」
「いーい女だな。おもしろい。なんならおまえがこっちに来て遊ぶか?」
 口をはさんだのはローマだ。しかし皐月は、やんわりと断りをいれる。
「病み上がりなので遠慮しておきます。それに後輩の試合が気になるので」
「そいつは重要だな」
 皐月は瑞貴の手を取り、線を越えて引っ張った。
「いこ」 「え、ええ」
「不思議ですねえ。まるでつきものが落ちたような顔をされている」
 ゴライアスはベルメッセを一瞥する、と、同時に彼は煙を巻いた。
(さてさて。余計な真似をされる前に退散いたしましょうか)
 煙が消える頃には2人が消えていた。ドルジェダクも消えている。
「ゴライアスめ。俺に詳細を教えぬままベルメッセの警護にあたらせていたのか」
「あ、そうだ。ちょっとサツキごめん。手を離して。え〜と、さっきはホントありがとうございました」
「そういう仕事だ。金になるからやっている。礼を言われるようなことじゃない」
「はっはっは。おまえもベルメッセに手酷くやられた口か? おもしろいだろ、あいつは」
 口をはさんだのはやはりローマだ。瑞貴は憤然として言葉を投げ返す。
「おもしろいどころの話じゃないと思います。決闘さえ受けようとしないなんて」
「そりゃよかったな」 「どういう意味ですか?」
「言葉通りだ」
 よく意味がわからない。ローマは、それ以上説明せず顎を付きだした。
「それはそうとだ。そこのおまえ、こそこそしてないでそろそろ出てきたらどうだ?」
「え?」 「誰?」 驚いてふりかえる西川姉妹。一方、気づいていたのかまるで動じないのは瀬戸川刃。
「なんだばれてたのか。気配を消すのは得意な方なんだがな。特にあんたらは1人1人の存在感が強すぎるから、よそよそしくつつましくしていれば押しつぶされるように気配も消えると見込んでたんだぜ」
「あ、新堂」
「狙いはいい。少し遅れたのは事実。それで何のつもりだ? 闇撃ちでも狙っていたのか?」
「んなわけないさ。ただの職業病だ職業病。とりあえず、あのゴライアスってのが曲者らしいな。あいつはなにを企んでる? 俺達にも影響することか?」
「さあな。年がら年中何かを企み、情報を小出しにすることを好むやつだ」
「おまえは?」
「さあな」
 それだけ言い残すとローマもまた背を向ける。彼は急ぐことなく去っていった。
「無防備に背中を向けるのは自信の表れってところか。おもしろい。そういうところが実にそそるよな」
「今ローマに喧嘩を売ったらシンヤ君から刺されるかも、後ろから。少し変なところがあるのあの子」
「そうなのか? 仕方ない。なら俺は真っ当に、灰色の大将の首を狙うと……」
 言った傍から瑞貴に睨まれる翔。彼は頭をかいた。
「俺にどうしろと」 「試合でも見てたら?」 「そうするか。気になる話もあるしな」
「なに?」
「いや、なんかな。あいつらのこととか、妙に引っかかることがいくつかある。おまえらの身に起こったことも含めてな。ぶつかり合う、決闘ってもんの力を感じるんだよな。変わっていくんだ、めまぐるしく」
「そうかもしれない。もしかすると予選のラスト、あの二試合はその試金石かも」

「試合のルールはなんだろなっと。一戦形式で“守備表示選択禁止”? 思いのほか地味だな」
 予選最終戦の一個手前、もう少し捻ってくると読んでいた。しかし現実はむしろ単純だった?
「守備表示にしちゃ駄目ってエネコンとかどうなるんだろ」
「どうやら通常召喚権を行使したセット行為とモンスターの表示形式変更権を行使しちゃ駄目ってことらしい。《月の書》はアリらしいな。サモプリの表示形式変更効果なんかもアリっぽいぜ」
「要はガンガン打ち合えってことでしょ。単純明快」
「そうでもないみたいよ。得失点差を確認して」
「成程」
 合点がいった。セミファイナルにふさわしい奇怪な状況だ。
「ルールがもう1つ加わってるってこと。だけどあの二人の決闘なら」
「この条件ならアヤの方が有利?」
「わからんさ。あいつは色々とわからんやつだからな」
「そうね。シンヤ君と対戦する側からすれば、一概に有利と考えのは危険」
(わからんやつ、それに危険、か。シンヤ君も随分……あれ?)
 遠目に信也をみた皐月。何かを直感する。
(いつもと違う、ような。なんだろう。あの眼は……)
 胸騒ぎ。なんだろう。この、嫌な感じは。
「サツキ? どうしたの?」
「なんでもない。たぶん気のせい」
 この中で一番信也を見慣れているのは西川皐月。一番世話を焼いたのも西川皐月。それだけに彼女は、あの一瞬でなにかを感じとる。そういえば。カードショップで相談をもちかけられたあのとき、信也はどんな眼をしていたのだろう。自分のことで一杯一杯だったあのとき、何故もっと信也の顔をよくみておかなかったのだろう。彼女は首をふる。大したことではない。きっとただの思い過ごし。野生の決闘狂人との闘いを経て少し敏感になっているだけなのだ。野生の決闘狂人との遭遇などレアな事態。それで少し昂ぶって、物事が変に見えるだけなのだ。彼女はそう結論付けた。

 そうはいっても、試合前の結論ほど脆いものはないのだが――

 現に、そこにいるのは最低でも野生の決闘狂人なのだから――

 皐月は知らない。試合前の二人に何があったかをまだ知らない――

【Mブロック三回戦】
元村信也VS福西彩


 福西彩はぶるっと身を震わせる。武者ぶるいというには生々しすぎる震え。試合直前、向かい合う二人。信也は無言で握手を求めた。まさか画鋲などはないだろう。いくらなんでもそれはない。しかし一瞬脳をかすめる程度には意識したのも事実。彩は無言で握手を拒否した。「正々堂々闘うんだろ? 握手、してくれないのか?」。なんてことはない、なんてことはない言葉の一つ一つが言霊として宙を舞う。それを聞いた彩、躊躇いがちに信也と握手を交わした。そういう人間だった。良くも悪くも、そういう人間だった。福西彩はぶるっと身をふるわせる。なんだろう、この、異様で、重苦しい空気は。

 昔から思ってはいた。何かに飢えていて、何かを求めていて、それでいて普段は平静を装って。自分には把握しきれないなにか。そんな彼を迎え撃つ福西彩は根が純朴。話せば分かる、そう信じるタイプの人間だった。しかし話しても分からない現実。正確には話そのものが分からない。なんでこんなことに?
(出来れば三本勝負か五本勝負が良かったのに。だけど、決まった以上は最善を尽くそう)
 あれだけのことがあれば一瞬で終わらせてしまいたいと思うのが人情。しかし彼女は分かり合いたかった。思いやれば理解できる。理解できれば打開できる。決闘狂人という存在、それは一種の病気なのだから。福西彩はそう考えていた。そう考えたがっていた。とことんやってやる、それが彼女の抱く『想い』。
(絶対に負けられない。シンヤは、シンヤはこっち側にいるべきなんだ)

 元村信也の目は不気味に虚空を泳いでいた。終末感漂う空気を身に纏い、彼は彩の前に立っている。諦めたのだろうか。そういう風にもみえる。油断を誘っているのだろうか。そういう風にもみえる。既になにかしらの策を弄しているのだろうか。そういう風にもみえる。あるいは決闘狂人の『素』とはそういうものなのだろうか。そういう風にもみえる。三度ぶるっと身体を震わせそうになるのをなんとか静止して彩は信也をみつめた。止めなくては。なんとしても信也をここで止めなくては。そうでなければ悲劇が起こる。彼女にはそんな予感がした。野生の決闘狂人が引き起こす惨事については彩も先輩から聞き及んでいる。
(理想としては諦めてそのまま脱落してくれること。だけど、そんなのは都合のいい可能性。むしろ悪い可能性から順々に警戒するぐらいで丁度いい。目が死んでるのは策を弄しているのを気取られないため、そのぐらいの想定で臨むのがベスト。シンヤ、間違ったり駄目だったりすることなんて沢山あるんだよ。だから私が止めてあげる。そうすれば、また一緒に笑えるから)
 福西彩は『握手』を交わした。ただし眼を伏せながら。そのとき、元村信也がいったいいかなる表情をしていたのか、彼女はみていなかった。穢れなき精神を保とうとするが故に、逆に眼を逸らしてしまうこともある。あのとき信也がいかなる表情をしていたのか、それはもう闇の中。しかし一つの事実は残る。信也はこのとき確信を深めていたということ。彼女はこの期に及んで『握手』をかわした。「それがいい」。

「ドロー。手札から《神獣王バルバロス》を召喚。カードを1枚伏せてターンエンド」
「始まったか」 「普通の立ち上がり?」 「この先をみてみないとわからない、でしょ」
 カードを引き、決闘が始まる。信也の先鋒はバルバロス。典型的な脳筋アタッカーだ。もっとも、後々蘇生させれば3000となる以上、一種の布石としても機能する。しかしその程度は想定内。
(だよね。古典的なアタック&サポートを強いられる。だけどそれならこっちの土俵)
 しかし彩には十分な勝算がある。元々先に仕掛けるのは得意なタイプ。しかし有利とはいっても相手は何をしでかすかわからないことに定評のある元村信也。彩は再度気を引き締める。
(シンヤの不気味さはあの西川先輩も認めている。普通に殴るだけの単調な決闘を仕掛けてくるとは思わない方がいい。だけどここは引かない。こっちの速度を落としちゃったら、シンヤに時間を与えてしまう)
 従来の不安点であった「先攻逃げ切りのための最後の一歩が届かない」が実質補填されているようなこの状況。不安があるとすればむしろ信也の策。まともに攻めてくる分には楽なもの。
(有利な状況を生かすには。気になるとすれば信也の策。私が組んだのは猪突猛進型の【魔法使い族】。普段なら闘牛士のようにかわされるリスクがあるけれど、迂闊に受けにまわれないこの状況ならこちらのタイプの方が信也の目論見を消せる。正々堂々、真っ向勝負こそ、今の信也には刺さる)

「ドロー。《熟練の黒魔術師》を召喚。手札から《召喚師のスキル》を発動。《コスモクイーン》を手札に」
(《ブラック・マジシャン》じゃなくて《コスモクイーン》。バニラマジシャンを絡めたアタックデッキ)
 素直さに素直さを掛け合わせた決闘。信也は唇を噛んだ。そういうのが一番不味い。
「魔力カウンターを黒魔術師の上に置く。《地砕き》を発動。《神獣王バルバロス》を破壊。魔術師にもう1つ魔力カウンターを置く。手札から《サイクロン》を発動。伏せカード―《聖なるバリア−ミラーフォース−》―を破壊。同時に、魔力カウンターはこれで3つたまる。いくよ、シンヤ」
(【詠唱乱舞】。またたく間にカウンターが3つものった。伏せを割って一気に攻める気か)
 彩は《熟練の黒魔術師》を生贄に捧げ《ブラック・マジシャン》を召喚。攻勢に出る。
「バトルフェイズ、《ブラック・マジシャン》でダイレクトアタック!」

元村信也5500LP
福西彩:8000LP


「いい顔してる。アヤ、なんだかんだでふっきれた闘い方をしてるみたい」
「高速戦か。しかし捻りのない決闘だな。あんなんであのガキを殺れるのか?」
「貴方にはそう映るでしょうけど、ああいうのも作戦の内だと思う。それに、彩にしてみれば特別な相手、そこで本当に迷いなく攻め続けるって結構な決断がいるんじゃない?」
(ちゃんとみてあげてるんだなあサツキは。私はどう? 記憶対象に入ってた?)
「誰かさんの所為で、ヴァヴェリが先に試合したのはあの娘にとっちゃ僥倖だったかもな。ああいうタイプは、眼の前に目標が定まってた方が力を発揮する」

 実質ライフが5000のこの闘い、息切れをあまり意識せずに済むこの闘い、彩の決闘が研ぎ澄まされる。下手をすれば、ものの数ターンで削りきられるに違いない。下手をすると、下手をするとこのまま? 信也は舌打ちをした。苦しい? 苦しいに決まってる。事実、信也にとってこれは苦しい状況に違いなかった。だが同時に、別の感情を抱いてもいた。それは――
(ああそうかい。つきあいたくないのか。はは、そうだよなあ。つきあいたくないんだよなあ、はは)
(これでいいんだ。一番いいのは何も起こらないこと。何も起こらなければシンヤはどこにもいかない)
 彼女は《ディメンション・マジック》を伏せてターンエンドを宣言した。まさに万全の体制。しかし彼女はまだ気が付いていなかった。「一番いいのは何も起こらないこと」、その思考の、内に潜む穢れに。

2周目
元村信也:ハンド4/モンスター0/スペル0/5500LP
福西彩:ハンド2/モンスター1(《ブラック・マジシャン》)/スペル1(セット)/8000LP

「ドロー。手札から《増援》を発動。《マジック・ストライカー》を引き入れそのまま特殊召喚」
 信也はストックしていた《増援》を切る。持ち駒の中でも最高クラスのモンスターを引いたからだ。
「こいつを生贄に《風帝ライザー》。効果発動! 《ブラック・マジシャン》をデッキトップに!」
 強力な持ち駒をこれ見よがしに厚く張る。決闘の王道ともいうべき晴れ舞台。だが。
「甘い! 《ディメンション・マジック》を発動! 《ブラック・マジシャン》を生贄に……」
(惜しげもなく大呪文。デッキのほとんどは即戦力ってわけだ。でてくるのは当然あれだよな)
「手札から《コスモクイーン》を特殊召喚。《ディメンション・マジック》の効果によりライザーを破壊」
(シンヤのライザーは想定済み。透かしてしまえばただのバニラアイスクリーム同然)
 先のターン、《ディメンション・マジック》からの《コスモクイーン》で追撃をかければ信也のライフは早々に3000未満となっていた。しかし彩はそうしなかった。考えられる可能性、それは彩のハンド。いかに3000以下にしたとしても、消耗の激しい決闘を続ければ後に待っているのは確実な息切れ。そうなってしまえば後は煮るなり焼くなり信也の時間がやってくる。完全にペースを握られ、デッキに投入された回復呪文で再び3000以上にされた上で倒される。彩の判断は信也の目からみても正しいように思われた。正しいようには思われた。
「カードを1枚伏せてターンエンド」

「ドロー……《コスモクイーン》の攻撃力は2900」
 わざわざ言う意味は何か。言うまでもない。これが入れば信也の勝利が遠ざかる。
(電獣がつきつけた三千年問題。だけどここで信也のライフを3000以下にすれば)
 現実に勝ちあがること以外に何も求めていない信也にとってこれは大きい。いったん3000以下にされてしまえば回復してからでなければ予選を突破できないのがこの決闘。
(自分が勝てなければ私が上がってもヴァヴェリがあがっても同じ、でしょ? こっちが万全の状態でシンヤのライフを3000以下にする、それはシンヤのやる気をそぐ、そうしてしまえば)
 彩とて勝ちたいのだ。長いトンネルを一刻も早く抜けてしまいたい。ここで通してしまえば、色々な問題への解答を一気に示せるような気がした。彼女は、迷うことなく動いた。
「いきます! 《コスモクイーン》でダイレクトアタック!」

 が、信也。ここで動く。

(ライフを削るには殴るだけじゃない。自衛のついでに削るってのもアリだろ)
「ここだ! 《魔法の筒》を発動! 《コスモクイーン》の攻撃を跳ね返す」
「《魔法の筒》か。このルールならある意味一撃必殺」
「決まれば一気に形勢が傾く。これが作戦?」

 ニヤリと笑う信也。しかし、彩は不自然なほど動じていなかった。

(まさか)
「シンヤ、【詠唱乱舞】を甘くみたね。この手の差し合いなら私は負けない」
 速攻魔法の使い方ならば一流。福西彩、満を持して手札から発動。
(《痛魂の呪術》だって!?)
(私が何の準備もなく迎え撃つと思った? 私だって、私だってシンヤとの付き合いは長いんだってこと。やられっぱなしでいられるわけがない。この一歩が勝負を決める)

元村信也2600LP
福西彩:8000LP


「そんな……嘘だろ……」
 呻く信也。まさしく悪夢といえる展開。
「それでは。私はこれでターンエンドします」
「いぃ……よし!」 「ん?」 「いや、なんでもない」
 皐月は口を閉ざした。気がついたからだ。
(私は、シンヤ君がこのまま負けることを望んでいる?)
 後ろめたい感情。と、同時に、皐月は思い至る。
(このまま、このまま終わるの? シンヤ君はこのまま終わる? 本当に?)

3周目
元村信也:ハンド2/モンスター0/スペル0/2600LP
福西彩:ハンド1/モンスター1(《コスモクイーン》)/スペル0/8000LP

「はぁ……はぁ……やるじゃないか、アヤ」
 元村信也は何を考えているのだろうか。決闘はまだ3周目。しかし3周目にして終盤でもあった。このまま勝てる? わからない。不気味な気配は、未だ消えることがないのだから。
(シンヤ。本当に動揺してる? だけど万が一がある。そのときのために気を引き締めないと)
 彩が考える万が一。それはライフ回復の可能性。そして可能性として考えられるのは何か。
(ライフ回復といってもライフゲインは基本的に弱い。それこそなんらかのギミックを組み込まなければ普通に攻めのカードをいれた方が結果的にライフの消耗を抑えられるぐらい。そしてシンヤになんらかのギミックを組み込むほどの構築力はない。信也はろくに使ったこともない筈。落ち着いていけばここからは私の方が有利)
「しょうがないなあ。《光の護封剣》を発動。1枚伏せてターンエンド」
(《光の護封剣》? 守りたいってのはわかるけど、だからって)

「おっ、守りに入ったか。《光の護封剣》。攻めを阻害しない程度の防波堤ってところか。といっても、この状況じゃ守り一辺倒がいいところ。なんとか凌ぐためのカードにしかなってないな」
「ドロー……ターンエンド」

4周目
元村信也:ハンド1/モンスター0/スペル1(《光の護封剣》/セット)/2600LP
福西彩:ハンド2/モンスター1(《コスモクイーン》)/スペル0/8000LP

「ドロー。チッ、ターンエンド」
(シンヤは、シンヤはなにを?)
「ドロー…………ターンエンド」
 このとき、彩がターンエンドと言うまでに要した時間は1分。《光の護封剣》が持つ独特の緊張感。《大嵐》でも来れば一発だがその前に何かされるかもしれない。事実上「一手パス」と宣言することは下手をすれば命取りとなりかねない。しかしそれでも彩は熟考の末ターンエンドを宣言。ターンをまわす。

5周目
元村信也:ハンド2/モンスター0/スペル1(《光の護封剣》/セット)/2600LP
福西彩:ハンド3/モンスター1(《コスモクイーン》)/スペル0/8000LP

「ドロー……ターンエンド。こんなの……」
(シンヤが喋った? なにを?)
「後悔するぞ。アヤ、アヤ、アヤ……」
(う……)
 信也の目は血走っていた。敗北が近いからであろうか。彼はうわごとのように彩の名を呟く。まるでゾンビだ。彩は信也に対し一瞬憐れんだような視線を向けるがすぐに気を取り直す。油断は禁物。
(《大嵐》。このまま放っておいても《光の護封剣》は自然消滅する。だけどそれを待つようなプレイは何か危険な匂いがする。向こうはもう1枚セットしているんだから、ここは一気に吹き飛ばす)
 彼女のここからの作戦は単純だ。引いて、壊して、そして殴る。
「メインフェイズ、《大嵐》を発動」
「チェーンして《スケープ・ゴート》」
(《激流葬》かなって思ったのに。羊トークンは元から守備表示で召喚されるから、このルールでも問題なく使える。だけど、延命に次ぐ延命で命を繋いでいるのは苦しい証拠。ここで出来る限りリソースを削る)
 予想外のチェーンだがポジティブに捉え、連続攻撃にうつる彩。
「《熟練の黒魔術師》を召喚。バトルフェイズ、羊トークンを2体撃破」

6周目
元村信也:ハンド3/モンスター2(羊トークン×2)/スペル0/2600LP
福西彩:ハンド2/モンスター1(《コスモクイーン》《熟練の黒魔術師》)/スペル0/8000LP

「ドロー。手札からスペルを2枚セット。ターンエンド」
「ドロー……メインフェイズ」
(《大嵐》を切った以上、2枚の内の1枚がもし《激流葬》だったら不味いよね。他にも何かしらの罠を張ってる可能性は十分。信也のライフはなんだかんだでまだ2600も残ってる。ここはさっきと状況が違う。焦っちゃ駄目。前面のモンスターをデコイにしつつ攻め上がる)
「バトルフェイズ、羊トークンを2体撃破!」

「もどかしいっちゃもどかしいな。なんだかんだで結局は時間を稼がれてる」
「だけど間違ってはいないと思う。アヤのハンドにもよるけれど、ここで全戦力を投入したところで、仕留めきるまでにはいかないと判断したのよきっと。迂闊に戦力を出し切って返しに《ライトニング・ボルテックス》とかくらったらってことなんだと思う。この試合、アヤはガンガン攻め上がる一方で、うまいこと捌かれ、息切れしないように、慎重に最後の瞬間を見計らってる。タイミング勝負、それがアヤの結論」
「ま、それもわるかないか」
 異議を持ちつつも流そうとする翔。皐月は敢えて問いかけた。
「折角だから教えてくれませんか? その、新堂翔だったらこういうとき何を考えるのか」
 今まで散々煽り合ってきて、いざ丁重に扱われるのが意外でやりづらかったのか。翔は一旦顔をそむけ、少し考えてからこう答えた。皐月の変化に少しばかり戸惑いつつ。
「タイミングってのは計るもんじゃなくて作るもんだと思うけどな、俺は」

7周目
元村信也:ハンド2/モンスター0/スペル2(セット)/2600LP
福西彩:ハンド3/モンスター1(《コスモクイーン》/《熟練の黒魔術師》)/スペル0/8000LP

(そろそろ向こうも痺れをきらしてくる。もう少し、もう少しで)
 必要以上に緊張を強いられるこの一戦、彩は神経を張り巡らせて信也の動向を見守る。このまま、このままのペースなら。そう彩が心に抱き始めた丁度そのころ、奴は動き始めた。
「ドロー。アヤ、アヤは卑怯だ。幼馴染との勝負だってわかってるのか?」
「な、何言ってるのシンヤ。これは勝負じゃない。勝負に幼馴染も何もないよ?」
「かもしれない。だけど! だけど! 僕等にはもっと大事なものがある筈だ!」
 血走った眼で信也は訴える。みえるけどみえない大切なもの。
「大事なもの?」
「アヤは卑怯だ。僕との闘いをこうやって終わらせよう終わらせようって考えてる」
「そ、それは戦術的に……」
 信也のそれは「いちゃもん」というにふさわしいものだった。確かに彩は、この不気味な信也との勝負を速やかに終わらせたいと内心願っており、ここ数ターンは、拙攻を仕掛けまいとする気持ちとさっさとカードを切ってしまいたい気持ちがぶつかりあうような状態ではあった。しかし、だからといって責められるいわれはない筈だ。彩は憮然とした。他人をここまで不安にさせておいてなにをいう、と。しかし信也は、そんな彩の気持ちを知ってか知らずかリバースカードを発動。それは、誰もが予想だにしないカードだった。
「僕はこのカードを使う。僕達に必要なものを思い出してくれ!」
「え?」 「あ、あのカードは」 「おいおいマジかよ」 「嘘!」

《友情 YU−JYO》
通常魔法
相手プレイヤーに握手を申し込む。 相手が握手に応じた場合、お互いのライフポイントは 現時点でのお互いのライフポイントを合計して半分にした数値になる。 自分の手札に「結束 UNITY」が存在する場合、 そのカードを相手に見せる事で、相手は必ず握手に応じなければならない。

「《友情 YU−JYO》を発動。僕は相手プレイヤー、福西彩に握手を申し込む!」
(アヤの手、綺麗な手、もう一度握らせてくれるかどうか。わかるだろ? 握ってみろよアヤ)
(確かに、確かに今の状況でそれを発動すればたった1枚のカードで自分のライフを2700も回復して、その上私のライフを2700も減らせる。だけど《結束 UNITY》がなければ握手をする義務はない。私は断れるんだよ。まさか、まさかシンヤの切り札は、私の情に訴え……)
 彩は背筋をぶるっと震わせた。試合前の泣き落としを思い出したのだ
「シンヤ、それが切り札? 握手なんか、握手なんかするわけないじゃん」
「アヤ……頼む。後生だから……頼む!」 「え? ちょ、ちょっと!」

 なんと信也はその場で涙を浮かべた。速攻魔法発動。スペル名は《涙》。前代未聞。信也は目に涙を浮かべ懇願した。幼馴染に泣き落としで迫るそのタクティクスが異常なことは最早誰の目にも明らか。どこの世界に、決闘に負けたくないからという理由で幼馴染の女の子を相手に泣いて懇願する決闘者がいるのであろうか。いるのである。ここにいるのである。彩はどうしていいかわからなくなった。目の前にいるのは本当に信也なのか。信也なのだ。紛れもなく信也なのだ。信じたくはないが信也以外の何者でもないのだ。「お願いだ。握手してくれ!」。靴を舐めろと言われれば喜んで舐める。そう言いださんばかりだ。どうすればいい。どうしてこんなことになった。
「そんなこと……そんなこと……」 靴を舐めるからと言われても困る。この惨めな生命体はなんなのか。
(シンヤはきっと病気なんだ。あの裏コナミとかいう狂った人達と関わって病気になっちゃったんだ)
 まさか涙を浮かべて懇願するとは。情に訴え握手を求める壮絶なプレイング。確かにカードテキストの趣旨を考えるならば、《結束 UNITY》を併せ持たずとも効果の発動が有り得ることからすれば、《友情 YU−JYO》の成就のために懇願すること、それは純テキスト的にいえば間違ってはいない。成就さえすれば信也のライフは一気に5300まで回復する。逆に彩のライフは5300まで下がり勝負は振り出しに戻る。しかしそれを、本気で友情に訴える人間を彩は初めて見たのだ。母性本能とでもいうべきか。彩は揺れた。この辺が彩の彩らしいところだろうか。話がここまで極まったことで逆に哀れになってきたのである。

(シンヤ。そこまでして勝ちたいだなんて。私はどうすればいいの? 私はそこまでして勝ちたいとは思ってない。正々堂々闘ってそれで負けるならもう仕方ないと思ってた。だけどシンヤは……)
 どうすればいいのだ。どうすればいいのだ。彩は困惑に困惑を重ねた。
「さあ! さあ! さあ! 握手してくれ! 握手してくれるんだろ?」
(そんな! ここで握手しちゃったら……そんなことは絶対駄目。だけど、だけどシンヤはこれに賭けている。もし断ったら……とにかくもう一度話し合おう。そうだ話し合お……ん?)
 と、そのときだ。彩の眼には一瞬あるものが確かに映った。
(今シンヤの手から少しだけこぼれてみえたあれって……)
 彩は内心で呆れ果てた。最低、最低の決闘者だった。

(目薬……? あの涙は嘘っぱち? さいってえ……)


第58話:野生のダチョウ倶楽部



 彩の心は一変した。全ての謎が解けたのだ。
(シンヤは苦し紛れにこんなことをしてるんじゃない。シンヤは画鋲のときから何一つ変わってないんだ。きちんと一から十まで頭で考えた上で私を陥れようとしている。本戦進出が危ういから、私に全力を出されたら勝てないから、私の甘さにつけこむことで予選突破をはかろうとしているんだ)
 ここまで考えた彩は無性に腹が立った。追い詰められた末にまかり間違って泣き落としという愚行に及ぶならともかく、幼馴染の優しさを利用しようというその腐った態度。許しがたい。あまりに許しがたい。
「いや! 握手なんかしない。シンヤなんか大っきらい!」
「ちょ、ちょっと待て! 攻撃する気か! もう一度考え直せ!」
「シンヤ! 男らしく闘ったらどうなの? 私は、私はもう曲げない」
「後悔するぞ。そうだ。後悔すればいい。後悔すればいいんだ。《サイバー・ヴァリー》を召喚」
 演技が続いているのか。演技が実らなかったので今度こそ本当に狂いだしたのか。信也は呪詛を吐くかのように恨み事を呟きながらターンエンド。彩は思った。「ここだ」と。

元村信也2600LP
福西彩:8000LP


「ドロー。手札から《ディメンション・マジック》を発動」
(底がみえた。薄っぺらな池の底が。策を弄するということは、その分苦しいってこと。策が実らなかったということは、その分計算が狂うってこと。だから)
「《熟練の黒魔術師》を生贄に《混沌の黒魔術師》を召喚。《ディメンション・マジック》の破壊効果発動」
 破壊効果を使用すれば《混沌の黒魔術師》の効果は発動しない。しかし《激流葬》や《奈落の落とし穴》を相手に使われることもなく、なにより問答無用で壁を破壊できる。勝負の瞬間、来る――
「観念しなさい、シンヤ! バトルフェイズ、《コスモクイーン》で……」

(なにかがおかしい――)
 新堂翔だった。遠目ながらも、ここまでの顛末から彼は妙な引っかかりを覚えていた。
(なにかがおかしい――)
 彼は考える。何がおかしいのか。自分の中にある心当たりとは?
(俺は思いだそうとしている。だがなにかがそれを阻害する)
 彼の中の合理性が思いつきに歯止めをかける。なぜ?
(ゼロから考えるんだ。単純に、ここでもっとも恐ろしいことは?)
 彼は身を乗り出した。そして彼は思わず叫んだ。
「やりやがったあのガキ。こいつは一から十まで茶番だ!」

「ダイレクトアタック!」
「リバースカードオープン。1000ライフを支払い《闇よりの罠》を発動。アヤ。色々と気を使わせて悪かった……それはそれとして、墓地から除外するのは《聖なるバリア−ミラーフォース−》な」
「え?」 彩は呆気にとられた顔をした。いや、彩だけではない。みながみな、そうだった。
「攻撃したら後悔するって言わなかったか? しょうがないなあ。だからいけないんだ」
(嘘だ。ここで《闇よりの罠》なんて嘘だ。もし握手してたら発動条件が……そんな。一つの一つの言動の裏に、今押されたら困るんだって証拠があった筈なのに。あった筈なのに)

 ベテランの決闘者集団として知られる歴戦の雄・ダチョウ倶楽部はこう語る――

 押すなよ。絶対押すなよっていうのは押せって意味に決まってんだろ――

 純真無垢な彩を襲った本当の罠。無論彼女も彼女なりに警戒はしていた。だが異端者の真の策はそれをも邪悪に超える。彼はかの有名な格言をも利用した。野生の決闘狂人が組み上げし狂った流れの中、押すな押すなと暗に言い含めることで、その後まるで大宇宙の意思に導かれたかのように押してきた人間を嵌める策。押すな押すなと、疑いを抱かせぬよう言い含めるまでの策。
「あいつ、ほんっとに決闘者っつうか異端者だな」
 遡ること1ターン前。まずは《友情 YU−JYO》の三文芝居。勝利をくれるなら二ーソを舐めるとまで言い切った控室の一件もあり、彩の心は必然的にそこへ向く。そしてこのとき、握手に応じず攻撃を仕掛けるなんて絶対に駄目だと念を押したうえで、目薬をチラリと、まるでシンヤがそれと気づかぬまま隠し損なったかのようにみせる。これにより彩は信也が情に訴えたとみせて実は策に走ったと考える。その結果、理性をもって策に走ったということは、その裏には理性的な打算があるのだと考えが至る。つまりここで握手を断り全力で仕掛けたならシンヤは今度こそ本当に終わり、そんな風に彩は裏を読む。信也の暴走故に速やかに決着を付けたいと願いつつも、一方では信也が醸し出す異様な気配を警戒、かねてから完璧なタイミングを窺っていた彩にとってはまさしく渡りに船の一大好機。だがそこまでが信也の策。彩は信也の策を見抜いたと誤信したことで、今度こそ何の警戒もなく全戦力を投入し突撃。だがそれが不味かった。
「嘘。シンヤ、嘘でしょ。そんなのって。そんなことってあるの?」
(ヴァヴェリ戦の画鋲のことはアヤも知っている。利用させてもらった)
 画鋲があり得るなら目薬もあり得る。その読みが命取りということ。元より、正々堂々とした決着を望む彩から、試合開始『後』の握手を引きだすつもりなど信也には毛頭なかった。引きだしきれるとは思っていなかった。しかし生真面目な彩のこと。先のやりとりのこともある。確実に引きだせるのは動揺。動揺とは不安定。不安定とは傾きやすいということ。揺らぎがあったがゆえに、用意された誤答に飛びついてしまう。そうなれば後はしめたもの。信也は軽く舌なめずりをした。ここからだ。本番はむしろここからだ。

 福西彩はまだ知らない。福西彩は、まだ、知らない。

7周目
元村信也:ハンド2/モンスター0/スペル0/1600LP
福西彩:ハンド2/モンスター0/スペル0/8000LP

元村信也:800LP
福西彩:8000LP


「え?」
 それは一瞬の出来事だった。先のやりとりでの動揺を広げられる形で、福西彩は汚されていた。一瞬。ものの一瞬。これから攻撃しようというこの生物は一体何の冗談なのだろうか。流れるような動きだったことは記憶している。《デステニー・ドロー》。《D−HERO ディスクガイ》を墓地に落とす。万能型の傾向を残しつつもいつもより回点重視のセッティング。二の矢で《早すぎた埋葬》を発動、選択するのは当然《D−HERO ディスクガイ》。2枚ドローしてハンドは4枚。ラスト、《D−HERO ディスクガイ》を召喚のための生贄に捧げつつ、《貪欲な壺》。墓地のモンスターを片っ端からデッキに戻して2枚ドロー。彩自身、普段からこの程度の高速回転は度々行っている。そこそこありふれた光景の筈だ。しかし、ならば何故、生贄一体で召喚されたこのモンスターは攻撃力5800というおかしな数値を叩き出しているのか――



光神機(ライトニングギア)―轟龍



(《巨大化》。ライトニングギアを《巨大化》!?)
 信也が手札に《巨大化》をため込んでいたということ。それが示す事実は一つだった。もしもあそこで握手に応じていたならば信也と彩のライフは同一となり《巨大化》の発動は無意味となる。彩は改めて確信した。信也は最初から断られるために握手を申し込んでいたのだ。とてもまともな神経とは思えなかった。
「妥協召喚なら生贄1体で出せるブルーアイズ級。だけど即死でもないのに。そんなのって」
(あるんだなこれが。即死でないのがむしろいい。こいつは『続けるための一撃さ』。それがいい)
 轟龍の咆哮。彩のライフを恐るべき勢いで吹き飛ばす。



Goryu Cannon!!



元村信也:800LP
福西彩:2200LP


(いける。いけるじゃないか。ハハ……)
「アヤ、僕のプレイングの意味、食らえばわかるだろ?」
「私のライフが3000以下に……まさか、まさか最初からこの展開を狙って……」
「エンドフェイズ、生贄1体で召喚された《光神機−轟龍》はガス欠により墓地へ送られる。つまり俺の場はがら空きってことだ。今のアヤと同じように。だけど、そう簡単に攻撃できるかな、今のアヤにさあ」
「う……」
「言ったよなあ。正々堂々予選突破をかけて闘おうって。ちゃあんとやろうな、アヤ」
(アヤの性格上なんだかんだいって回復のための手段は仕込んでいる筈だ。それも最後の手段として。そうそう枚数はないよな。そうなれば最高だ。アヤは小さな希望にかけて戦ってくれる。そういう奴だ)

「さっきまではやれ《光の護封剣》だやれ《スケープ・ゴート》だ守備一辺倒だったのがここにきてノーガード。初めてみたぜ。こんなに鉄壁なノーガードはな。普通なら3000未満になるのを避けながら決闘をするところ、あいつは最初っからお互いが3000未満になることを前提とした決闘を行ってやがる。相変わらず着眼点『は』大したもんだ。敵にまわしたくないやつだよ、あれは」
(同じものをみていた筈なのに、新堂の方が違和感への気付きがいくらか早かった。もしここにあいつがいたら、『この場面でのワンセットとふくらはぎの関係性が云々かんぬん』とかわけのわからないことをいいながら誰よりも早く反応するのかな、やっぱり。足りない。私にはまだ足りない)
 翔や瑞貴が思い思いの反射をみせる中、とりわけ皐月は複雑な心境で信也を、暴走する野生の決闘狂人を見守っていた。彼女にはみえたのだ。どこに出しても恥ずかしくない立派な野生の決闘狂人としてフィールドに跋扈する信也の情念がみてとれたのだ。自分が迷走している間、ガンガン明後日の方角に突き進んでいたかわいい後輩。なんてこったい。なんてこったい!
(シンヤ君、貴方はそっち側にいこうとしているの? だけど、だけど本当にそれでいいの?)

(これでお互いに3000未満。予選突破のためには3000を超えてからでないと仕留めることができない)
(3000未満になる前に決着? 違うよアヤ。全然違う。お互いが3000を切ってからが本番だろ?)
 元村信也、彼はこの決闘を「お互い3000未満になる前に相手を倒さねばならない」とは捉えなかった。彼はむしろ「お互い3000以上にしてからでないと相手を倒すことができない」とこの決闘を位置づける。認識一つ、その認識一つが、異端者には大きなアドヴァンテージとして還元される。
(泥っ泥の泥仕合の始まりだ。徹底的に、徹底的に……ハハ)
 野生の決闘狂人の生態については読者諸兄の知るところ。彼らは世界中の至るところに息を潜め、普段こそ決闘常人とそう変わらないものの、一旦なんらかの条件でスイッチが入った瞬間、常人では予測不可能な方向に荒れ狂う。その猛威は凄絶の一言。この点、地力、経験に関して言えば確かに訓練された決闘狂人の方が上であろう。しかし専門家は指摘する。未成熟であるからこそ、野生の決闘狂人は決闘常人達にとって最大の脅威となりかねない、そう彼らは指摘する。

 事実、今、福西彩は未曾有の恐怖にさらされていた。

(怖い。これからどうなっちゃうの? だけど負けない。ここで引いたら私達は! 負けられない!)
 しかしそれでも福西彩は立って決闘を続けようとする。彼女の目には悲壮な決意が秘められていた。決闘狂人への対処法は主に3つ。@遭遇を避けるA出会った傍から逃げるB倒す。彼女はBを選択する。彼女は誠実過ぎた。誠実過ぎるが故に! 逃げることなどできようか。
「負けない。絶対に負けない。シンヤなんかに絶対負けない」
「じゃあ続けようか。楽しい、楽しい、後半戦の始まりだ!」

 決闘って楽しいよなあ!



【こんな決闘小説は紙面の無駄だ!】
信也・彩編「私はあと二回変身を残している」


↑急がず焦らずクリアマインドの精神を保ちつつ叫びましょう。



↑以下略

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