“貴方は、カードを引き続けることができますか?”

 福西彩。彼女のことを一言で表すならば。良くも悪くも人間一言で表せるものではない。それでも敢えて、福西彩を一言で表すならば律義。少し飾ると律義な正直者。逆に貶すなら馬鹿正直といったところか。枝が伸び、葉を生やし、花を咲かせ、移り変わっていくとしても。

 裏表のない性格ながら、いや、裏表のない性格であるがゆえに、幼少のころからそれほど積極的に他人と交わりはしなかった。流れに任せていた。触れ合った人達は皆、口を揃えて「いい子だよ」とはいうものの。彼女自身は「社交的な自分」を演出できる器用さを兼ね備えてはいなかった。少女時代、生きていくのに困難が生じない以上、人と人との交わりはある種の不自然を伴う。それが少し嫌だった。

 男女の壁はあれど。彼女が物心ついた頃、元村信也はそこに「いた」。友達に「なった」のではない。気が付いたら友達「だった」。出会ったという記憶がないということ。それは関係性を無条件に肯定する。少なくとも彩はそう思っていた。友達になろうとか、好まれようとか、そういう不自然な部分がまるでない関係。それは偶然だった。偶然としか言いようがなく、事実偶然だった。だからこそ大事なものでもあった。

 成長するにつれ、自分を適当な値段で処分する方法を覚え出す。だが周りに思われているほどには、他人に媚びるのが上手くない自分も残っていて。隣に信也がいることは彩を安心させた。信也の腕を引っ張ったり、遅刻で焦る信也を後ろから追いかけるのは爽快だった。信也はわりとなんでもソツなくこなすが、大抵はこなすだけ。怒られない程度のクオリティで仕事を終わらせる。軽く笑われる程度にはしくじってみせる。場の空気を悪くしない程度に、ぶつぶつ文句を言いながら雑用を一通りこなしていく。傍目には無味無臭な存在だが、彩にとっては貴重な偶然の産物であり、何よりこの世で一番とっつきやすい存在だった。何も無いということは、何も負い目がないということだ。何の躊躇いもなく腕を引ける。何の躊躇いもなく負かしたり、ときに頼ってみたり、一緒に掃除でもしてみたり。栃木第七小学校友達100人作ろうよ委員会で斡旋を受けたわけでも、車に轢かれそうになったところを助けられたわけでも無い。

 だからこそ、大切にしていかなければならない。信也も同じだと思っていた。彩にとって、大事なのはそこにいること。それ自体が一つの約束。暗黙の内の約束事。
「シンヤ? シンヤは約束についてどう思う? 破られたら嫌?」
「大雑把だなあ。ものにもよるだろ。遅刻だって元を辿れば約束破りだぜ」
「じゃあ大事な約束だったら?」
「言うまでもないだろ、それ。好きな奴いるのかよ」
「私が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「今日はやけに面倒くさいなあ。まあ、うん、まあ……約束っていうと少し大げさだけど、そこに居てほしいって思ったら居なかったってのが一番嫌かな。どうにもなんないから」
「そう。やっぱりそうなんだ」
 信也も同じなんだ。少し嬉しい。彩はそう思った///違うと思い始める。信也は飛び込んで行った。どことなく、受動的で引っ込み思案だと思っていた信也はなにかある度に、何時の間にか彩よりも先に飛び込んでいた。もしかすると。単にどうでもよかっただけなのかもしれない。どうでもいいから普段は適当に流していた。もしかすると。流していた自覚すらないのかも。皐月さんや浩二さんも言っていた。毛色が違うって。未曾有の危機が迫ったとき、異常事態が起きたとき、少し嬉しそうにすらみえる。それだけじゃない。対応してみせる。竦み上がってもおかしくないのに、向かっていける。精神構造の問題なのか、単に才能の問題なのか。無謀にも思えるのに、対応してみせる。その度に、今まで居たところから居なくなる。居なくなることを恐れていない。無味無臭? それどころか。虚無的にすらみえてくる信也の瞳。信也はどこをみているのだろう。少し、震えた。自分が思っていた以上に、彩は信也を知ってはいない。

「わけのわからない展開だよ全く。悪いんだけどよ、丁度今来た人間にこの七面倒くさい展開を一から十まで説明してやるほど優しく出来てないんだよな、新堂翔って人間は」
「いらねえよ俺も遠目でみてた。あいつ、とうとう野生の決闘狂人化しちまったみたいだな」
「ストラさんよ、その表情から察するに、あんたにはそうなるのがわかってたのか?」
「わかるか。俺はそこらの並の決闘者だ。ただ、今から考えるとそういう気配があったってな。危ういぜ。ドス黒いまでの激情を垂れ流すことしか出来なかった昔のディムズディルを思い出させるが、もってるもんが上の下程度のプレイセンスってだけなのがな。逆に嫌な予感がする。ろくなことにならない予感がな」
「狂ったように正面突破で暴れて、そして突き破るだけのものがないってことがか?」
「シンヤには絶対的な『力』がない。だが、決闘狂人としてのなにかが血に混じってる」
「決闘狂人ってのは自然発生するものなのか? それこそ箪笥の角に小指をぶつけるレベルでよ」
「素体で言うなら案外転がってるもんだ。だが大抵は目覚めぬまま終わるか、目覚め損ねるか、決闘狂人としての激情を間違った方向に発揮して決闘災害を振りまいちまうのが大半だ」
「成程な。オリジナルの、凶悪な決闘の型を天から授かったはいいが、そいつが曲者ってわけか」
「燻ってる段階でいい指導者に出会えれば、その本性を、自在に操れる個性・武器に昇華させることも可能なんだが……あいつは一見社交的なようで中身をみせようとしない。それどころかアイツは、こっちを値踏みにしていた。一瞬だ。ほんの一瞬だが、あいつから妙な視線を感じたときがあってな」
「昔一戦交えたハルカが言ってたよ。あれはなにか発想からしておかしいってな」
「プレイはそこそこ一流。しかし実戦経験も構築経験も不足している。普通なら途中で止まる器だ。しかしあいつは現にヴァヴェリに勝った。『そこそこ一流』では善戦で止まる筈だ。そしあいつはあのローマにも喧嘩を売って戦い抜いた。普通はそうはできない。聞けばローマは、SFAを相手に決闘の大虐殺を繰り広げたらしい。にも拘らず勝負を挑み、食い下がり、【真・全土滅殺天征波】を食らった」
「かもな。現にあの福西は同じ状況で闘いを挑みはしなかった、か」
「それが普通だ。裏コナミクラスがその本領を発揮してるとなれば、それこそ【光合成体質(ハイパーモード)】の新上達也みたく地力と経験を備えた決闘権化クラスでなければ裏コナミクラスに喧嘩を売って本気を拝むどころか脚が震えまともにカードも引けない筈だ。事実、あのときのローマは【光合成体質(ハイパーモード)】を前にしてそれ相応のものをみせていた筈。にも拘らずだ」
「俺はエリーと闘う前ディムズディルの一端を垣間見た。途中で中断されたがあの威は強烈だ」
「裏コナミレベルなら当然。ま、おまえならそれでも十分やりあえるだろうさ。だが俺のみる限りシンヤの基本スペックは裏コナミクラスと渡り合える程じゃあない。だが、1つだけ……」
「決闘狂人としての素養、か」
「決闘権化にも色々いる。決闘常人が鍛錬により到達したり、決闘才人がその才覚を清く正しく発揮したり、あるいは剥き出しの決闘狂人が更生して決闘権化とも言われるようになったり。あいつは剥き出しの決闘狂人だ。それも重度のな。それがいったいどう転ぶのか、あんまりいい予感はしないぜ」

7周目(ターンプレイヤー福西彩)
元村信也:ハンド3/モンスター0/スペル0/800LP
福西彩:ハンド2/モンスター0/スペル0/2300LP

「どうした? 攻めないのか? こっちのライフは風前の灯、押せば倒れるってわかるだろ?」
 野生の決闘狂人、その性質の悪さときたら。決闘に取り付かれ決闘にのめりこみ決闘に狂う。そんな信也に対し、彩はどうしようもない程の無力感を覚えつつあった。後一発殴れば勝てる筈なのに、それは勝利にはならなくて。純粋な嫌がらせに走るならここで殴るというのも1つの選択肢。しかしそれで信也が止まるのだろうか。正道を貫けなかった彩を皮肉り、更なる決闘の魔道に身を落とすのではなかろうか。そう思うと彼女の手は竦む。それに何より、ここから居なくなりたくはなかった。消えてしまう気がしたから。

 知っている。信也は知っているに違いない。長い付き合いだ。彩は依然として信也を計りかねているが、信也は違う。彩を分かっている。何故? 彩は信也に対して、ときたま見栄を張ることはあれど、そのほとんどは正直に接してきたからだ。信也は彩が、喪失を嫌うことを知っている。約束を破り捨て友達の前から逃げ出すような真似なんてできっこないって知っている。それがたとえ、流れの中思わず口にしたことだとしても。いやむしろ、だからこそ。誰の目にも明らかなこと――この場でもっとも信也を困らせるのは、この場で決闘を放棄して家に帰ることに他ならない。しかし彩はそれをしなかった。その態度は、信也の、彩への評価が間違っていないことを暗に示している。信也は、内心こう呟く。

 “線が引かれた。あいつはもう踏み越えない。今踏み越えられないなら永遠に踏み越えることはない”

「私のターン、ドロー。《魔導戦士 ブレイカー》を召喚。バトルフェ……カードを1枚伏せてターンエンド」
 駄目だ。彩は踏みとどまった。ここで殴れば試合は終わる。しかしそれでは信也への発言を、自分の中の信念の衣を脱ぎ捨てることになる。負けを認めるのと同じだ。投げ捨てるのと同じだ。
(勝機は残っている。非常用に入れたアレがあればなんとかなる。問題はあっちがどうでるか)
 信也のライフは残り800。しかし今一番大事なことは試合の主導権を握ること。ライフが3000以下になったという意味では五分と五分。それならば先に回復手段を引き当てた方が有利?
(場の制圧、それが第一。回復手段を引き当てても場を制圧されていたら意味がない)

8周目
元村信也:ハンド3/モンスター0/スペル0/800LP
福西彩:ハンド1/モンスター1(《魔導戦士 ブレイカー》)/スペル1(セット)/2300LP

「ドロー。さーて行くか! 手札から《キラートマト》を召喚。カードを1枚セットしてエンド」
「ドロー、メインフェイズ。《魔導戦士 ブレイカー》の効果を発動。伏せカードを破壊します」
「そいつはナシだ。《八汰烏の骸》を発動。デッキから、カードを1枚ドロー」
 「うまくひっかけられたな」とはストラの弁。「みえみえだ。が、福西にしてみればさっきの今で警戒心が強まり過ぎているからな」とは翔の弁。押し黙って見守るのは西川姉妹。
(トマトを攻撃しても場には影響しない。ここは現状維持で)
「カードを1枚伏せます。ターンエンド」

9周目
元村信也:ハンド3/モンスター1(《キラー・トマト》)/スペル0/800LP
福西彩:ハンド1/モンスター1(《魔導戦士 ブレイカー》)/スペル2(セット)/2300LP

「ドロー。手札から《異次元の女戦士》を攻撃表示で召喚。カードを1枚伏せてターンエンド」
「私のターン、ドロー。《霊滅術師カイクウ》を攻撃表示で召喚。私は……」
 「膠着したな」とはストラの弁。「おい片割れ、コーラ買ってこい」とは翔の弁。「帰れ」とは皐月の弁。
(そうさ。そうなるだろうなあ。考えろよ。精々考えろよ。その方が後々のショックも大きくなる。頑張って長考してもらってご苦労様だけど、僕はもとよりおまえとまともに勝負する気なんか最初からないんだ。一身上の都合ってやつさ、悪く思うなよ、アヤ。そうさ! この決闘、この決闘は)

 ――福西彩を決闘で汚染する――

(汚してやる。なにもかも、そうさ、それが決闘なんだ。彩の土俵、その広さはもう知っている。彩はその土俵から決して外に出ようとはしない。だったら。だったら。だぁったら!)
 信也の眼は妖しく輝いていた。彼は一瞬だけ眼を瞑る。瞼の裏には先の、ベルメッセ=クロークスやローマ=エスティバーニといった末期的決闘狂人達の姿が映っている。いや、映っているなどという次元ではない。刻み込まれた後、燃え盛る炎であぶられていたのだ。

 21世紀、ノストラダムスの大予言亡き後、人々は安寧と退屈を手にしたかにみえる。しかしそれは嘘だ。マスコミの情報操作に踊らされてはならない。怠惰な現代人の中にあっても、野生の決闘狂人化の危険は常にある。覚醒した野生の決闘狂人に見境はなく。もしも貴方が覚醒したての、野生の決闘狂人をみかけたならば覚悟を決めるべきだろう。彼らは、彼ら自身の1分前の人生設計すら超えて踊り狂い、生存と破滅のつり橋を逆立ちしながら渡っていく。

 口の悪いことで知られる専門家、ジョニー=アッタマテッカ=テーカはこう語る。

「何が問題かって? 何を間違ったのか、あいつらは自分のやってることが合理的だと信じてるのさ。脳がいかれっちまったんでないのなら、あれを相手に無傷で済まそうなんて考えない方がいいぜ。あいつらはなにも生みやしねえよ。それこそあいつらの通った後にはペンペン草も生えてこない。いってみればウイルス性の病気なんだよ。病気がなにを生み出すってんだ? 棺桶の売り上げぐらいのもんさ」

10周目
元村信也:ハンド2/モンスター1(《キラートマト》/《異次元の女戦士》の)/スペル1/800LP
福西彩:ハンド1/モンスター1(《魔導戦士 ブレイカー》/《霊滅術師 カイクウ》)/スペル2(セット)/2300LP

 結局、前のターン彩は行動を起こさなかった。二体目のモンスターの召喚に成功したことを一応の収穫として、一旦パスして様子見の態勢に入る。勿論、次回以降信也が不穏な動きをみせればすぐさま対応して対処する構えであり、依然として場の制圧への意識は揺らいでいない。彩は信也に強い視線を送った。「負けない」、そして「退かない」。その意思表示の表れだ。しかし彩は気付いていない。徹底抗戦の構えをみせればみせるほど、バトルへの意欲をみせればみせるほど、やつらには生唾ものであることを。野生の決闘狂人が今、『合理的結末』へ向けて動きだす。

「さっきは長考ご苦労様。だけどもう考える必要なんてないんだ。場の制圧? 有利不利? カードアド? ライフアド? 関係ない。違うよ。全然違う。違うのさ!」
「え?」
「与えない。アヤにはなにも与えやしない! バトルフェイズ! 《異次元の女戦士》で中古ブレイカーに攻撃! ライフポイントが800から700に変更。ここで《異次元の女戦士》の効果を……」
 福西彩が身構える。だがしかし、一向に消える気配なし。
「発動すると思ったか? 発動しないんだなこれが!」
「なに? シンヤ、いったいなにを……」
 最後まで言い終わることもなく。信也は次の行動を開始していた。
「バトルフェイズ、たっぷり堪能しとこうか! 《キラー・トマト》で中古ブレイカーに攻撃!」
(自爆特攻! ライフが500になって、《キラー・トマト》がもう一体……また来る!?)
「《キラー・トマト》で中古ブレイカーに攻撃! ライフポイントを300に下げて効果発動! 3体目の《キラー・トマト》で中古ブレイカーに攻撃! ライフポイントを300から100に! 効果発動!」
(なにこれ。なにがどうなってるの? なんなのこの決闘)
「わかっちゃいない。彩はこの決闘を根本的に誤解してる。《キラー・トマト》の効果で《スナイプストーカー》を特殊召喚。バトルフェイズ『終了』。そう、バトルフェイズは『終了』した」

「なんなの? シンヤ君はいったいなにをやったの? 新堂!」
「説明が聞きたきゃ津田早苗でもみつけな。大抵はその辺をうろついてるからな」
「呼びました?」 「帰れ地方妖怪」
「ねえ新堂!」
 頭を掻き、雑に説明する新堂。
「終わったってことさ」 「なにが」 「福西のバトルがだよ」 「バトル……あ」
「仕掛ける側のシンヤ君には躊躇がない。躊躇なくバトルフェイズを終わらせた。あれでは攻撃した瞬間勝ってしまう。場の制圧には戦闘破壊が一番手っ取り早いけど、その手っ取り早い方法を潰された」
「嘘でしょ。アヤがまかり間違って、ヤケになったらどうするつもり? 短気を起こされたら……」
「案外短気だもんな、おまえ」 「あんたらがろくな人物ならあたたか〜い眼で見守れるんだけど」
「あの子は律義で生真面目だからな。まかり間違わないと見込んでるんだろうさ。付き合いが長い分性格も把握してるんだろう。、そいつはつけこむ隙となる。なるんだけどよお」
 ストラは溜息をついた。彼は亡き左目を軽くこんこんと叩いた。
(おいシンヤ、おまえ、それであそこまでいくつもりか? 死ぬぜ)

 信也は、顔をひきつらせる彩を前にして笑った。
「こういうのは早い者勝ちだろ? アヤ」
 挑発的だ。しかしそれがむしろいいと彼は思う。
(さっきひっくり返さなかった。なら今もひっくり返さない。彩は溜めこめる。我慢できるんだ。挑発はむしろ活性剤。彩はひっくり返せないんだ。それって警察を呼べないってことだろ? だぁったら!)
 だったら? 彼の中ではもう決まっていた。答えは一つだ。
(カードゲームは……カードゲームは凌辱だ)


第59話:凌辱決闘〜穢されたバトルフェイズ〜



「おまえ、両利きなんだな」
「両利き?」 「両方同じように使えるってことだ」
「あんまり意識したことはないなあ。普通は違うのか?」
「無意識か。おまえらしいな」 「そうじゃないと、接地が安定しないだろ」
「成程」 「それより、もっと色々みせてくれよローマ。あんたはおもしろい」
「このエリアに決闘者が集まってる。1人で行ってこい。生きて帰ってきたら決闘を教えてやる」
「行かせる前に教えるもんだろ、そういうのは」 「その割には降りる気が感じられないなブラックマン」
「黒髪のブラックマンか。確かにこの辺だと目立つんだよな。そんな珍しいもんでもないけど」
「自分じゃわからないだろうさ。おまえは立ってるだけで黒くて目立つ。だから遊びがいがある」
「じゃ、更に仮装でもしようかな。先に噂でも流しておけば、相手がビビって降参するだろ」
「目立って袋叩きにされてこい」 「顔を腫らして帰ってくるよ。あんたは僕より強そうだからな」


 タッ♪タッ♪タッタッタッタッタ♪タッ♪タッ♪タッタッタッタッタ♪タータター♪タタタタータタータター♪
 タータッタータタ♪タタタタータタ♪ タータッタータタ♪タタタタータタ♪

「うるさい。ねむれない」
「アラームは最後まで聞く主義なんだよ、ベルメッセ」
 ローマは、目覚めると同時に立ち上がっていた。
「いくんだ。あの子のところに」
「義務でもあり道楽でもある」
「少しのぞいた」
「なにかしたか?」
「ふられたサイコロの、7の目をみるのがそうなら」
「そうか。それなら、今度のサイコロはどうでるかな」

「向こうの方針がわかってるってこと前提だがいい手には違いない。迂闊な戦闘を封じた。殴っちまったら勝っちまう。勝っちまうがここで勝っちまうと負けることになる」
「でもそれって生殺与奪権をアヤにあげちゃったも同じじゃない」
「お人好しにナイフってところだな」
「どういう意味? 新堂」 
「仕事上な、そういうのが効くこともあるってこった。相手と状況にもよるが、お人好しにナイフを持たせてこっちの首元に近付けてやるとな、逆に竦み上がって、そいつは金縛りに遭ったように動けなくなる。ま、俺はあんまやらないけどな」
「あんまってのは聞かなかったことにしてあげる」
「どうでもいいが『さん』をつけろよ片割れ」
「そっちが名前で呼んだら考える」


(なんだろう。この決闘。この決闘は、なんなんだろう)
 真綿で首を絞められるような感覚。じわじわと、鳥の羽根をもぐように。そこには不気味な一貫性が感じられた。早くしなければ。「それ」を感じ取った脳からの、肉体からの命令が彩を急かす。早くしなければ。もっと、取り返しのつかない状況になる前に。
(こうなったら一刻も早く回復手段を引き当てるしかない。場にはスナイプストーカー。迂闊になんか出したら高確率で壊されるけれど、フリーチェーンなら、《積み上げる幸福》との連続技なら)
「メインフェイズ2、僕は手札から《封印の黄金櫃》を発動」
(向うも動いてきた。回復手段をサーチされる?)
「装備魔法《愚者の鎧》をゲームから除外」

《愚者の鎧》
装備魔法
自分の墓地からモンスターカードを1体選択して攻撃表示でフィールド上に特殊召喚し、このカードを装備する。このカードのコントローラーは、このカードが表側表示で存在する限り、自分フィールド上のカードが墓地へ送られる度に1000ポイントダメージを受ける。またこのカードが墓地に送られた時、1000ポイントダメージを受ける。このカードを発動するターン、自分は通常召喚する事はできない。

(回復どころかダメージ!? なんでそんなものを。わからない。シンヤがわからない)
「ターンエンドだ」
「私のターン、ドロー!」
(駄目だ。そうそう引けない。早くしないと。もっと嫌なことが起こりそうな気がする。そんな気がするのに)

「どうしたアヤ。攻撃すればいいじゃないか。攻撃すれば、攻撃すれば僕には勝てるぞ。楽になっちまえ。そんなものを後生大事にかかえているからアヤは弱いんだ」
 信也の挑発、彩は、棒で打たれた鐘のように鳴り響く。
「私は、私は知ってる。そんな卑劣な決闘が、そんなのが真実へ到達することはないって知ってる。負けない。私は負けない! シンヤだって本当は恐れてる! だから煽って揺さぶろうとする。だけど私は負けない。どんなに……どんなに……どんなになっても!」
 彩の眼にはうっすら涙が浮かんでいる。無理もない。彼女は既に大きな揺さぶりを受けていた。ここに至るまで何度も傷ついてきた。しかしだからこそ、その度に彩は己の信念をより強固なものと変え、目の前の邪悪な意思と立ち向かってきた。だが、それこそが。
「最後まで戦い抜いて!  それで! (もう一度!)」
(いいぞお。もっとだ。もっと、もっと。ここで諦めてもらっては困るんだ)
「ターンエンド!」
 力を込めたターンエンドだった。バトルフェイズが穢された今、彼女はギリギリのところで抵抗していた。その現れがこの力強いエンド宣言。気を張りつめ、決闘狂人に立ち向かう彩。

11周目
元村信也:ハンド2/モンスター1(《スナイプストーカー》)/スペル1/100LP ※《封印の黄金櫃》発動中
福西彩:ハンド2/モンスター1(《魔導戦士 ブレイカー》/《霊滅術師 カイクウ》)/スペル2(セット)/2300LP

「ドロー。カウントダウンだ。どうしたアヤ。顔が青いぞ?」
 身体が重い。まるで沼の中にどっぷりとつかってしまったかのように。言葉の1つ1つが、プレイの1つ1つが彩に絡みついて離れない。絡みついて締め上げる。息苦しい。なぜこうも息苦しい?
「心配しなくていいよ。それより、自分の心配をしたら? 負けるよ、シンヤ」
 精一杯の虚勢が空しく響く? ねぇ、ここはどこ? 「沼の中」。秘境探査員でもないのに。

「ドロー……」
(元村め。あいつは一体何のつもりであんなもんを)
「ターンエンド」
(これほどの長期戦。お互い一刻も早く決めたい筈。しかしあいつの闘い方、勝利を目指すというよりはむしろ……そうか。そういうことか。アイツの目的はそういうことか。勝利を「掴み取る」よりも確実な方法)

「ドロー! スタンバイフェイズ、《封印の黄金櫃》で《愚者の鎧》をハンドに。これで全てが間にあった」
(《封印の黄金櫃》で例の装備魔法を手札に入れる。だけどそれがなんだっていうの?)
 背筋に冷たいものを感じる。何故だろう。敗北の予兆? 少し違う。なにかもっと、もっと恐ろしい何かへの予感。何かが来る。逃れられない何かが。思えば、土下座で迫られたとき既に、彩の身体には蔦が1本絡みついていた。《友情 YU−JYO》が発動したときも、蔦がもう1本纏わりついた。《闇よりの罠》が発動したときなどは、蔦が更にもう1本沼から這い出てきた。轟龍にライフを奪われたとき、自爆特攻でバトルフェイズを奪われたとき、蔦は彩を縛りあげ、挑発に乗った彩が反発を強めれば強めるほどに、蔦は厳しく彩を締め付ける。これ以上締め付けられたら? それはもう、目前に迫っていた。

「《スナイプストーカー》の効果を発動。ハンドを1枚捨て、サイコロをふる」
 信也はサイコロをふった。出た目は……出た目は……『6』。不発だ。
「あ、外れた。シンヤ君のことだから、もう一回使うかな?」
「いや、もう終わりだ」
「なんでわかるの新堂。《スナイプストーカー》の発動がこれで打ち止めって」
「終わりだな」 「確かに。終わったわ」
「姉さんまで。何が……」
 次の瞬間、皐月は思わず「あっ」っと声を上げた。
「終わった」

「アヤの、勝利への決闘が終わった……」

 動悸が激しくなる。息がつまるような感覚。なにをした? これからシンヤは何をする?
「彩になにかを聞くのはこれが最後。彩は、彩はこの勝負を降りたりしないんだな」
「くどいよシンヤ。それが私の決闘。ここに居続けることが私の決闘」
「居続ける?」
「信也を止める。私が止めなきゃいけないから。ここまで一緒にきた私が! だからここに居る! 信也は私を突破できない。決して突破できない。私がここに居続けるから。」
「手札から装備魔法《愚者の鎧》を発動。墓地から《堕天使ナース−レフィキュル》を特殊召喚」
「え?」
 福西彩の視線は墓地に注がれていた。墓地の一番上にあるカード、ついさっきコストにされたカード。
「先に言っておく。僕の伏せカードの内の1枚は神の宣告だ」
「え?」
「居続けるんだったな。自分の言葉には責任持てよ、アヤ」

「え?」

 それが最後の「え?」だった。数秒後、彼女は全てを理解する。
(回復……出来ない。永遠に遠ざかる。永遠に……永遠に……)
 血の気が引く思いだ。逆だった。信也の狙いは逆だった。
(アヤ、これでアヤの勝利は永遠に遠ざかる。結局のところ自分のライフ回復なんて後回しで構わなかったのさ。大事なのはライフを回復されないこと。そうすれば永遠に勝たれることはない)
「初めてみたな。ここまで、ここまで相手の未来を奪うことだけに固執する生物を」
 翔は謎の生命体を観測するかのようにそう評した。信也の狙いは最初からこれだった。
「僕のカードのうちのどれかが墓地へいった瞬間、このカードは墓地へ行き、コントローラーは1000ダメージを食らう。装備魔法を直接割ったとしても、モンスターが墓地へいって外れたとしてもこれは発動する」
(《堕天使ナース−レフィキュル》がいる限りライフを回復することはできない。ライフを回復することができなければ私は予選を突破することができない。かといって堕天使ナースをどうにかしたらあの装備魔法が墓地へいく。そしたらシンヤにライフダメージがいって試合終了。私は予選を突破することができない)
 この瞬間、彩は勝利を永遠に奪われる。何をどうしたとしても彩はここから予選を突破することは出来ない。出来るとすれば、精々信也がライフを回復して勝利するのを妨げることぐらいだろうか。
(改めて恐ろしいと思う。これが野生の決闘狂人。シンヤ君、貴方はそんな決闘でいいの?)

「なんだ、なにもしないのか。だったら僕もなにもしない。ターンエンド」
(勝て……ない。勝つ方法が何もない。永遠に、永遠に勝つことができない)
(アヤ、もっと早く卓袱台をひっくり返すべきだったな。そうすれば自縄自縛に陥らなかったものを)
「続けようか、アヤ。戦い抜くんだろ? 僕への嫌がらせに走るような、卑劣な決闘はやらないんだろ?」
「わた……しは……続け……だけど……勝てなくて……あれ? おかしいな。なんでだろう」
 偏執狂のごとき戦略が彩の精神を蝕んでいく。彩の頭には最早、この状況で信也のライフをゼロにしてしまうと予選突破がどうこうという思考すら消え去り、ただただ何もできないという無力感だけが残っていた。一つづつ一つづつ真綿で首を絞められるように正々堂々、公明正大な勝利への道を狭められ、止めの一撃とばかりに勝利という名の、ゴールへの道を永遠に遮断する。そして止めの一言。
「嫌がらせはしないんだよな、アヤ」

「ドロー。ターンエンド」 「ドロー。ターンエンド」 「ドロー。ターンエンド」

 彩はうわごとのように呟くのみだった。何も出来ない。何もすることがない。この日のために研ぎ澄ましてきた構築も、戦略も。得意の詠唱乱舞などは最早見る影もなく。手足を切り取られたかのように彩は呟くことしかできない。ドローという意味で、ディスカードという意味で、手を動かしてはいるのだが手を動かしている実感もない。なにもない。この作業を何度繰り返したところで、どこへも到達しないのだ。



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」



 どれだけの時間が経ったのだろうか。一言二言しか呟いていないのだからそれほど長くはかかっていない? いずれにせよ、彩の中では永遠ともいえる時間。
(私、何をやってるんだろう。なんでこんなことになったんだろう)
 信也は、彩が何も出来ぬ間にも適当にジャブをいれる。それ自体勝利を掴むとはとても思えぬジャブ、福西彩を蝕むためのジャブを。そしてその間、福西彩は虚ろな表情で例の作業を繰り返す。



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 



「ドロー。ディスカード。ターンエンド」 「ドロー。ディスカード。ターンエンド」



「あ……う……」
 異常な状況にその精神を蝕まれていく彩。しかしそのとき、彼女はあることに気付く。
(デッキがもうない。私のも、シンヤのは私よりもうちょっとだけ少ない気がする)
 彩はこの気付きを歓迎した。自分の中で辻褄を合せることができるから。
(不可抗力。私はなにもできない。それこそドローフェイズを止めることもできない)
 野生の決闘狂人との死闘、凌辱に次ぐ凌辱は彩から主体性を奪っていた。逃れたい、しかし逃れる気力も方策も何一つ浮かびはしないこの無限回廊。その果てがみえたことは彩に希望を与えた。何一つ達成できない。信也を正気に戻すことも、勝利を収めることも、それどころか勝利に向かって戦い抜くことさえも。だがこれで全てが終わるのだ。自分の中に残った最後のプライドを投げ捨てる選択することなく試合が終わるのだ。この先なにがどうなろうが終わりはあるのだ。そう思える時間が彩にも一瞬だけあった。現実は残酷だった。

「《転生の予言》を発動」
 そこまでやるのか、それが何処かの誰かの第一声だった。
(《転生の予言》を使えば私の墓地とシンヤの墓地のカードを1枚づつ戻してデッキ切れを防げる。そしてもう一枚の《転生の予言》を使えば私の墓地のカードとシンヤの墓地の《転生の予言》をデッキに戻すことができる。そうすれば信也はデッキから《転生の予言》をもう一度引いて……)
 《転生の予言》を使えば少しだけ決闘を長く続けることができる。しかし《転生の予言》で《転生の予言》を使いまわせば少しだけ決闘を“永遠”に続けることができる。否、永遠に続けさせられる。永遠に勝つことのない決闘を。どこにも到達しない決闘を。無の回廊を無限に歩き続ける。それが今の彩だった。
「もういい。もういいから。もう戦わなくていいから」
 誰かが発したそんな言葉も彩には届かない。彼女はもう、カードを引いて捨てる機械になっていた。心だけが据え置きで。彩の動悸が徐々に強まる。息が苦しくなって目眩もする。最後まで勝利へ向けて正々堂々と戦い抜く、それはここまで辛いことなのか。彩の精神が、遂に限界を超える――
「お願い……もう許して。私が間違ってた。どうすればいいの?」
(どうすればもなにも《サイクロン》一発で試合『は』終わるさ)
「終わらない。終わらない……」
 彩の目の前が真っ暗になる。終わらない。このままでは永遠に終わらない。実のところ、信也の装備魔法を《サイクロン》で割れば一瞬で終わる。しかしそれは自らが勝利を得るための行為ではなく信也を不幸にするための嫌がらせに過ぎない。誠実過ぎる彩はその哀しきロジックに縛られる。そしてそれ以上に、彩は野生の決闘狂人が織りなす狂ったカードの世界に縛られ雁字搦めにされていた。ナイフを握らされた状態で縛られる。身動きは取れない。しかし持たされたナイフで自分を縛りあげた憎き異端者を刺し殺すことだけはできる。だがそれは、錯乱状態にある今の彩にしてみれば「できない」も同義だった。そして信也の狙いもそこにこそある。儚き彩の精神構造につけこんで勝利を奪い永遠の生き地獄に叩き落とす。それは彼にとっては合理的なことだった。
「わからない……わからない……カードゲームが……わからない」
 信念と恐怖と錯乱が入り混じることで彩は、試合を終わらせるだけならそれこそ全てをかなぐり捨てて惨めに終わるだけなら《サイクロン》を打てばいいだけであるということを失念していた。正確には、封じられていた。信也は「ここだ」と意を決する。少しでも彩が冷静な判断を取り戻す前に――
「終わらないさ。永遠に続くんだ。君がそれを選んだんだ。取り返しは付かない」
 信也はドローとターンエンドの応酬で溜まったハンドを切って彩のカードを片っ端から破壊していく。反撃は許されない。それは彩の中で強迫観念と化していた。なにもしてはいけないのだ。
「お願い、どうすればいいの?」
 信也は尚も無抵抗の彩を蹂躙し続けた。既に決闘意欲を失いされるがままになっていた彩を。

「お願い。もう……」
 しかしある瞬間、そろそろ止めもみえてくる段階となって信也は札を止め、手を震わせた。
「どうしたの?」
 信也の震えは、なにかの演技とは思えない。震える演技は画鋲でも無理だ。出来たとしても大根だ。
「できないな」
「え?」
「勝つために、あらゆることをやってきたつもりだけど、これ以上アヤを辱めることができない」
「シンヤ……?」
「僕は間違っていたのかもしれない。だけど、この試合には決着をつけなければいけないと思う。本当にすまなかったアヤ。一時の衝動で、こんなこと……」
「シンヤ……」
 伝わった、彩はそう思った。ギリギリまで続けたことで、眠っていた信也の良心が目覚めたのだと。無駄ではなかった。この長く苦しい闘いも、無駄ではなかった?
「聞いてくれ、アヤ。このデッキに入ってる唯一の回復手段、《女神の加護》を今からリバースする。もしアヤが僕をどうしても許すことができないならなにかしら妨害してくれて構わない。一緒に予選落ちしようじゃないか。その判断は彩にゆだねる」
「シンヤ……」
「ごめん、アヤ」
「そ、そんなことない。だって、私がこうなったのは私の腕が……」

 言うまでもなく、信也のそれは己の震えすら利用した三文芝居である。

(いける。このままおろさせる。福西彩をおろさせる)
 福西彩に堕胎させる。それが彼の、野生の決闘狂人の最終目的だった。ローマ戦のトラウマから勝利を得ることができなくなった信也。どうすればいい? 信也は考えた。そして思いついた。勝利を掴むことができないというのなら向こうから勝利を提供するようにしてしまえばいい。相手を羊に変えてしまえばいい。餓えた狼は恐怖を与えるが羊は肉を差し出すのみ。第一段階、彩をあらゆる搦め手を通して凌辱するだけ凌辱、恐怖や焦燥といった感情を孕ませる。そしてあまりのことに前後不覚に陥った相手に今度は優しく言い寄り、訴訟に発展させることなくおろさせる。それが信也のタクティクス。異端者の策。
「リバースカードオープン、《女神の加護》を発動する。これでライフは3000以上だ」
 福西彩は、信也の目論見を外すことなく、静かに宣言した。リーグ戦と言う構造上、サレンダーした決闘者には得失点差にペナルティが課せられる。しかしそんなことはもうどうだっていいことだ。
「私は……私は……処理終了後、試合を放棄、サレンダーし……ます」

【Mブロック予選三回戦】
○元村信也(+3100)―福西彩●


「シンヤ……」
 試合終了直後、何事かを確かめようとするかのように信也に言い寄ろうとする彩。しかし――
「ローマ、待ってろよ。ローマ」
 信也は彩のことなどまるで無視するかのように背を向けて走り出した。
「そんな……そんなのって」
 崩れ落ちる彩。信也は、信也は完璧なまでに染まっていたということなのか。
(間違ってるよ。間違ってるよシンヤ。そんなの決闘じゃない)
 溢れる涙とともに、心身共に限界を超えた彼女の自我は崩れ落ちていった。

「ローマ! いるんだろローマ! 姿を見せろ!」
「遅かったな。随分と擦り減った顔をしている」
「どうだっていいことだ。全てはおまえを、おまえを!」
「その震える手で何をなすつもりだおまえは」
「それは今から分かる。カードを引け! 俺は引く!」
 信也はカードを引き、バルバロスと共に特攻を仕掛ける。
(今だ! 今なんだ。全てを乗り越えるにはこれしかない)
 野生の決闘狂人が吠える。が、ローマは何ら動じず腰を上げ。
「終わらせはしない。おまえは、既に終わっているんだからな」
 その瞬間、二人の周りは妖しき光に包まれて――

 皐月に身体を揺さぶられ、福西彩は意識を取り戻した。夢じゃない。心に負った深い傷。夢じゃない。目眩と吐き気を催しつつも、彼女は1つ1つ気を落ち着けていった。大丈夫だ。身体は動く。そうだ、動くのだ。ドローとディスカードを繰り返すだけの機械と化していた彼女にとってそれは思い出すべき事実だった。そして一通り己の状態を確認してなんとか冷静な思考力を取り戻した彼女は、あることを思い至る。
「シンヤ、シンヤはどこ? そうだ、ローマのところへ向かったんだ。あのままの状態で」
「落ち着いて! もういいの。もうカードを引かなくていいの。わかってるでしょ?」
「……」

「……」

「嫌だ! このままなんて! わからないけど、嫌!」
 なんとか状況を把握した彩は走り出した。野生の決闘狂人の末路など知ったことではない、そう思いつつも彼女は走った。信也の、あのときの眼、それは何かに突き動かされている眼だった。それになにより、認めたくなかった。森羅万象全てを認めたくなかった。彼女は走った。
「かわいそう。試合前とはまるで別人みたいに。止めてあげるべきだったのかも」
 そう言いつつも、皐月には彩を止めることが出来なかった。走るしかないときもあるのだから。

「どこだろう。なんとなく、こっちのような気がするんだけど。なんとなく……」
 と、そのときだ。信也が曲がり角から降ってきて彩の横を通り過ぎた。
「シンヤ!?」
 ピクリとも動かない。屍のように、ピクリとも動かない。
「まさか……」
 彩は信也がふってきた方角を向いた。間違いない。今の信也をこんな風に出来るのは。
「よお。壊れた玩具と遊ぶのは疲れるな。そこのそれはおまえが適当に片付けおけ」
 言うまでもなく、ローマ=エスティバーニである。
「シンヤは、シンヤは貴方と闘った所為でこうなったんですか? こんな無残な姿に」
 あらゆる手段を用いて彩をデュエルレイプした凌辱者の姿はそこになく。屍のようにピクリとも動かないシンヤ。怒りよりも先に哀れが先立つほどに、それは惨めかつ無残だった。
「元々こいつはこういうやつだ。俺達との接触はきっかけに過ぎない。素養は十分あった。この世界に身を置く限り遅かれ早かれ野生の決闘狂人としての本性を現していた筈だ」
「だけど! もっと他に道はあった! こんなことになる前に何か! わかってるはずです!」
 裏コナミはそれ自体が劇薬のようなもの。仮にデュエルレイパーとしての素質があったとしても、裏コナミという名の覚醒剤を注入されなければ健常者として今までどおり決闘できたはずなのに。
「ホントの決闘者なんてのはどいつもこいつも異常者だ。しかしこいつは喧嘩を売る相手と機会を間違えたな。折角の猶予を生かしきれず俺にここで挑んだ。だからこのざまだ。自業自得というものだ」
「う……それは……その……」
「消えろ。おまえはここにいるべき存在じゃない。カードから身を引け」

 “貴方は、カードを引き続けることができますか?”

 もし才能があるとすれば。もし才能があるとすれば。もし、才能があるとすれば――
(シンヤはどうしてこうなったんだろう。色々な人達と決闘をしてきた。勝利のためにあらゆる手段を用いるということ、フォームとして確立している年長者もいた、自嘲的に語るおじさん(ごめんなさい)もいた、なりふり構わない、本当になりふり構わない先輩もいた。その先にあるものはなんなんだろう。シンヤみたいになるしかない? 劇薬を投じられ決闘に狂って廃人になって? そんな、そんなのって)
「脱構築型デッキ構築の申し子、ローマ=エスティバーニ……」
「なんだ?」
「私と決闘してください!」
(見極める。その為にはシンヤが闘ったこの決闘狂人とやるしかない)
「おまえが? いいのか? 他に誰もいないこの空間。壊れてもいいのか?」
 彩は身をぶるっと震わせた。この状況はいわば、コンクリート・ジャングルの中で果たし合いをするようなもの。一般人が路上でマイク・タイソンに喧嘩を売ればどうなるか。
「おまえには決闘狂人の素養もなければそれに太刀打ちできる才能も実力ない。やめておけ。俺も、今は少しばかり気が立っている。これ以上俺の間合いに踏み込めば容赦はしない」
 ローマは彩を気遣ったのか、それとも面倒を感じて遠ざけようとしたのか、いずれにせよ退くことを勧めた。裏を返せば進んだ瞬間勝負が始まるということ。あと一歩、あと一歩踏み込めばそれは決闘開始の合図となるだろう。ローマはデッキからカードを引くに違いない。そうなれば後には引けぬのだ。ただでさえ地獄の試合で精神に酷い傷を負わされた今、この上ローマの決闘を食らえば精神崩壊の危険さえ有りうるだろう。昔、ある男はこう言った。「ベースボールではバッターがヘルメットを着用する。当然の配慮だ。にも拘らず、カードゲームではなんら防具を着用せぬまま試合に臨まされる。これほどの理不尽が何故まかり通っているのか」と。今回、彩は決闘盤以外に防具と言えるものを一切着用していない。危険。あまりに危険。しかし彩は身体を震わせながらも一歩前に出た。自分でもわからない。やけになってしまったのだろうか。自殺願望でも芽生えたのだろうか。いずれにせよ開戦の合図だ。ローマは、決闘盤からカードを引いた。彩は、選択してしまったのだ。
「いいだろう。その勇気に免じて40000くれてやる。茶番に付き合わされた後だ。少しは粘るんだな」
 あまりに彩を軽んじた発言だが彩は何も言わずに受け入れた。勝負すること、それが大事だと思ったからだろうか。いずれにせよ、彩は一回深呼吸して、真性の決闘狂人との闘いに臨む。
「壊されたがりのマゾデュエリズムか」

なら壊れてみろ、そこのそれのようにな。



【こんな決闘小説は紙面の無駄だ!】
次回、信也・彩編堂々完結。死人は出るかもしれない、出ないかもしれない。


↑今週の縛りとして……そうだな〜「エロゲですね、わかります」系は禁止の方向で。



↑同上

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