最初は姉であった。姉は皐月の基準だった。皐月は姉と違う髪形をそれとなく心がけた。キャラクターも被らないように心がけた。西川家に用がある人間の多くは西川瑞貴をリクエストするからだ。そんな折、一々人違いされるのが嫌だった皐月は大抵髪形等を姉とは異なるものに工夫した。どれだけ効果があるのかはともかくそうしたかった。キャラクターも姉とかぶらぬように意識した。しかし髪形を変えて1ヶ月ぐらい経つと姉は妹と同じ髪形をこっそり試した。ここでこっそりというのは姉基準であり現実はこっそりでもなんでもなかった。皐月が「なんでそんなことをしたのか」とそれとなく聞いてみると「かわいかったから。もしかしたら私も似合うかなと思って」。呆れて言葉が出なかった。「仮に私が似合ってるならそりゃあんたも似合うだろ」。皐月は、ひっぱたいてやろうかとも一瞬考えたが、姉の言葉から悪意を感じることがどうしてもできなくてやめた。皐月は黙って引き下がった。元々が自分とは違う生物なのだ。しょうがない。あれが姉の住む第六異次元の常識なのだろう。

 皐月は生まれの時点で相対化していた。彼女はポジショニングを重視する。学校でもそうだった。チームでもそうだった。上と下、左と右、意識せずにはいられない距離と方角。日々微調整。振り落とされることを嫌う彼女はその実1人だった。彼女の軸は彼女の中にはない。だがそれでよかった。問題はなかった。ほどよく狭い世界の中でほどよく活躍できていれば。無限に近い器をもつ姉とは違う。皐月は己の器の限界を誰よりも早く理解していた。同時に、世界が広がれば相対的に自己の容積比が減衰するということも。彼女はこの年にして、世界を狭めるという処方箋を獲得していた。上下左右を区画してその中で中庸を維持する。下は駄目だ。惨めになる。かといって上も駄目だ。水面に近付けばその外がみえてしまう。左右? 同じこと。そんな恐ろしい真似は御免だ。

 うまくいっていた。それでうまくいっていた筈だ。しかし世界は広がる。目の前には、去年までなら考える必要のなかった野生の決闘狂人がいた。それは禍々しきオーラを放っているまごうことなき野生の決闘狂人だった。区画された空間そのものを歪める力を持った決闘狂人の大移動。西川皐月がそこに感じるもの、それは、斎藤聖が散々味わってきた敗戦の屈辱や恐れ等とは違う別のなにかだった。
(こいつら決闘狂人は私とは違う生物。出会った以上は倒すしかない。だけどどうやって?)

 孤独な戦い。誰も彼女を助けはしない。頼れるのは自分だけ。しかし決闘狂人相手にどれほど我が身が頼れるというのか。皐月を不安が支配する。決闘狂人を前にして、常日頃頼られる自分はもういない。誰にも注目されないこのフィールド内、自分で自分を頼り、打開する以外に道はなかった。
(駄目だ。このまま漫然と流されるのは駄目だ。私はまだ……)
「私のターン、ドロー」
 皐月はデッキからカードを引いた。今日彼女が組んだデッキはドラゴン族。さほど深い意味はなかった。無意識の中の、願望と現実が程良く混ざる地点、それがたまたまここだったのだろうか。
「手札から《スタンピング・クラッシュ》を発動」
 皐月の目の前には《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》。置物に刺さる現実。
(お願い。通って。通って)
「それを待ってたわ!」
 現実を超える現実。決闘狂人。
(そんな! 今度は北崎!?)
 先程まで皐月を圧倒していた西野如月の気配はすでになく。一転にして醸し出される女性的な、艶やかなオーラ。伸ばした指をカードの上から添え、キビキビとした動きで滑りだすように裏返す。それはもう2月のブリザードではない。春うららかなる3月。吹雪くのは雪ではなく桜――
「場にドラゴン族を放置したまま何の策もなくエンドしたと思って?」 
 霊媒師決闘者・北崎弥生。両手をあわせ、呪文を唱え、フィールドに護符が吹き荒れる。
「カウンター罠《封魔の呪印》発動! 《スタンピング・クラッシュ》を永久に封印する!」
「しまっ……」 「これでロックは更に固くなるわ。私の守りは完璧よ。わかる?」
 爆流決闘者・西野如月の迫力を前に焦った皐月。結果、更なる窮地に追い込まれる。
(わかる。北崎弥生の力もまた去年とは違う。迷いなき力。守備型の弱み、攻撃への切り替えをアレと行うことで、彼女は持てる力の全てを守備に注ぎ込める。理屈は一応わかる。だけど!)
 決闘狂人が押し付ける現実などわかりたくもない――圧される、皐月。
「くっ、モンスターを1体セットしてターンエンド。なんなのよこの人。まさか二重人格決闘者!?」
「ふ、浅はかね」 「なんですって?」

「タッグデュエルでもない限り、決闘者は1人で決闘をするのが原則。2人がかりでやれば勿論反則。だけどそれをどうやって判定するの? 精神? 身体? 当然身体が基準よね。現代科学では、肉体の中にある精神の個数を判定することなどできない。つまり、私達は2人がかりで闘える。デュエルクルセイダーズ? 裏コナミSCS? ソリティアの会? 翼川高校? どんなに結託しようが所詮は1人で決闘に臨まなければならない! つまり! 貴方達に勝ち目はない! 最強はこの、霊媒師決闘者・暦一族よ!」
 なにがどうなってああなっているのかなど皐月にわかろうはずもない。ただ少なくとも、あの自信はハッタリではない。皐月にわかるのはそれだけだがそれで充分だった。
(そんな。1人で2人を相手にするようなもの。こんな変態に勝てるわけがない。つくづくこの大会、右も左も変態が多過ぎる。こんな変態を相手に、どうすれば、どうすれば私なんかが勝てるのよ……)
 皐月は軽くめまいを覚えた。常人だと思っていた相手は何と変態だったのだ。ゴライアスの一件よろしく、変態の恐ろしさは身にしみている。変態に常識は通用しない。変態に容赦はない。変態はどこまでいっても変態。変態、変態、ああ変態。何故に私は変態を相手にしなければならないのか。生まれてこの方変態を敬い遠ざけてきた。変態とは一定の距離を置いてきた。なのになぜ、変態と椅子を争わねばならぬのか。しかし皐月は本能的に感じていた。これすら末端。ここで下がれば自分は駄目になってしまう?
(だけど、だけど相手は決闘狂人。勝てるビジョンが浮かばない――)

3周目
北崎弥生:ハンド2/モンスター1(《サブマリンロイド》)/スペル2(《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》/《伝説の都 アトランティス》/セット)ライフ8000
西川皐月:ハンド3/モンスター1(《アックス・ドラゴニュート》/セット)/スペル1(セット)/ライフ7200

(北崎の気配が消える。まただ。またあの感覚。間違いない。アイツが、くる!)
「はっはー! 俺の出番だ! ドロー……《サブマリンロイド》でダイレクトアタック!」
 再び《サブマリンロイド》が水に潜る。アトランティスを囲む海は彼の領域。皐月にはどこからくるかなどわかろうはずもなく。ジャブだ。これはジャブ。にも関わらずなぜこれほどに重いのか。
「あああああ……ああっ!」

北崎弥生:8000LP
西川皐月:6400LP


「おいおい。ま〜だ序盤だろ? 倒れるにははええ。折角のスタート。もう少しつきあえよ」
(ロックカードで抑えてダイレクトアタッカーで攻撃。今はまだ800で済んでいるけれどターンが進めば進むほどダメージソースが増えていく筈。早めにどうにかしないと、だけどどうやって?)
 山で熊に遭遇することを想定して対策を練っていない人間に熊を倒せるだろうか。デュエルフィールドで変態に遭遇することを想定して常日頃からメタを張っていない西川皐月に変態を倒せるだろうか。予選最終戦、統計学的にも、ある種の一線の内と外を決めるこのポイント、野生の決闘狂人の発生率はそれ相応にある。無論決闘狂人はカードゲーマー全体からすればほんの一握りなのであるから、そういう意味では、ここで野生の決闘狂人に遭遇した西川皐月は不運だったのかもしれない。だがしかし。それを言い訳にしたところで得られるものは精々心のこもらない同情ばかり。皐月は己を奮い立たせた。
(弱気になっちゃ駄目。それでも、私にはこれまで強豪の隙をついていなしてきた経験がある)
 皐月の不運とはそれほどまでに不運なのだろうか。少なくとも、この場で、この空気の中野生の決闘狂人と遭遇する確率は宝籤が当たるよりは遥かに高い。言い訳するには早すぎた。
(《スタンピング・クラッシュ》の封印でこちらの除去率は下がった。今重要なのはなんとか粘ること。だけどただ粘るだけじゃ押し切られる。不利な状況なんだからある程度のリスクは負う必要がある。「これ」で向こうの戦力を一網打尽に出来れば、そうすれば勝負はまだわからない)
「ふふ。《サブマリンロイド》を守備表示。2枚伏せるわ。ターンエンド」
「ドロー……1枚セットでターンエンド」
「どうしたのかしら? 西川皐月の高速戦はどこへいったの?」
「……」 (無視よ無視。あいつらのことはガン無視。そうじゃないとやってられない)
「もう少し楽しめると思ったんだけど、これまでね。如月、早く決めてあげなさい……」
(やられてたまるか)

4周目
北崎弥生:ハンド1/モンスター1(《サブマリンロイド》)/スペル2(《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》/《伝説の都 アトランティス》/セット/セット)ライフ8000
西川皐月:ハンド3/モンスター1(《ミラージュ・ドラゴン》/セット)/スペル2(セット/セット)/ライフ6400

「ドロー……西川皐月だったな。2回も食らえば800にも慣れただろ?」
 慣れるものか、そう皐月は思った。だが決闘狂人に容赦の二文字はない。
「そろそろ身体もあったまってきたからな。おまえだってそう思うだろ?」
 西川皐月は答えない。何一つ言葉を返さず沈黙を貫いた。
「おいおい。折角の俺の決闘、もう少し会話が弾んでもいいと思うんだがな。だがだんまりなら仕方ない。この先いくらでも機会はある。栄光もある。俺のためのな」
 如月は全身に気を充満させた。迸るエナジー。到来の予感。
(これは……くる!)
「そろそろ本気で攻めるぜ。俺のステージだ。手札から《アトランティスの財宝》を発動。デッキから《水陸両用バグロス Mk−3》を墓地に送り、エンドフェイズの1ドローが確定!」

《アトランティスの財宝》
通常魔法
「伝説の都 アトランティス」がフィールド上に存在するとき発動可能。デッキからレベル4以下の水属性モンスターを墓地に送り、そのターンのエンドフェイズ時に自分のデッキからカードを1枚ドローする。

「手札から《アビス・ソルジャー》を召喚。《伝説の都 アトランティス》の効果によりレベルは1下がり攻撃力は200アップする。これで《ミラージュ・ドラゴン》の攻撃力を400上回るな」
(あのセットモンスターも気になるが、所詮は置きっ放し。受身が精々)
「バトルフェイズ、《アビス・ソルジャー》! 《ミラージュ・ドラゴン》を串刺しにしろ」
「くっ……(ここは我慢)」 「おおっと既に《サブマリンロイド》は潜行してるぜ!」
 三度炸裂するダイレクトアタック。合計2400のダメージは上級モンスターの直撃に匹敵する。爆風に押される皐月。吹き飛ばされないのがせめてもの抵抗か。だがしかし。

北崎弥生:8000LP
西川皐月:5200LP


「これで終わったとでも思うなよ! 甘いぜ! 《リビングデッドの呼び声》を発動! 《水陸両用バグロス Mk−3》を墓地から釣りあげる。こいつの効果は知ってるな! おまえらのチンケなモンスターじゃこいつの潜りにはついてこれねえ! 攻撃力1700でダイレクトアタック」
(ここだ――)
 皐月の眼はまだ生きていた。彼女は内に、策を秘める。
(確かについていけないかもしれない。だけど私にだって今までの培ってきた処世術がある)
 息を潜め皐月は機を窺っていた。西野如月が調子づいて戦力を本格投入する瞬間。カウンターアタックを仕掛ける以外に勝機はない。彼女はそう考え、そしてこの瞬間を待っていた。彼女は攻撃型である一方、《クリボー》のようなカードを多用する。それは調子づいた自爆を誘うため。飽くなきパワー勝負を挑むのではなく、一歩引いたスタンスで決闘に臨む。熱くなりダダ漏れとなった相手の気配を感じ取り、一歩引いてから撃ち落とす。彼女は待っていた。攻撃を封じられて以降、耐えに耐えてその機会をうかがっていた。圧倒的な『力』を持たない彼女にとっては、この文字通りの『駆け引き』こそが生命線だった。彼女はカードを表に返す。
「《聖なるバリア−ミラーフォース−》発動!」
(せめて一失は報いる。これ以上惨敗なんて……)
(抵抗上等。だがその程度で……ぬるいんだよお!)
 だが既に如月は感知。反転、現れるのは勿論――
「流石の腕前。うまいうまい。だけどなにか忘れてない?」
(北崎……弥生……。いつの間に前衛……)
「甘いわ! ライフを半分支払い《神の宣告》」
 絶望。そこに残ったのはただの絶望。
(そんな……歯が、歯が立たない。勝ち目が、ない)
「喰らえ! ジャブロニック・ジオニズム!」
「いぃ、うあああああああああああ!」

北崎弥生:8000LP
西川皐月:3500LP


「そこそこおしかったな。だが俺の流れを止めたいんならせめて大雪ダムぐらいは持ち出すんだな」
 終わっていない。試合はまだ終わっていない。しかしこのとき、彼女は決定的な結論を掴む。
(そうだ。相手は二重の思考を繰り出す変態。変態の考えることなんて私に分かるわけがない。かといって北崎弥生/西野如月って書かれたフィールド魔法を西川皐月で塗り替えることもできない。私にはそんなことできない。これが決闘狂人。私の座れる椅子は、もうない)
「これが私達の決闘。《サブマリンロイド》を守備表示。エンドフェイズに1枚引いてターンエンド」
 ほとんど聞こえちゃいなかった。それでも、それでも彼女は諦めきれない。諦めきれないが策はない。皐月はただ漫然と手札を切っていった。それだけが彼女に出来ることだった。
「ドロー。2枚伏せてターンエンド」

5周目
北崎弥生:ハンド1/モンスター3(《サブマリンロイド》/《アビス・ソルジャー》/《水陸両用バグロス Mk−3》)/スペル2(《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》/《伝説の都 アトランティス》/《リビングデッドの呼び声》)ライフ4000
西川皐月:ハンド2/モンスター1(セット)/スペル3(セット)/ライフ3500

「俺の志は消えちゃいない。そうだ。俺が決闘界を制覇する」
 西野如月。暦一族最強とも言われる逸材として、将来有望な決闘者として名乗りをあげつつも、不慮の事故によって昇天した筈の魂。しかし今、北崎弥生という器の下、瓜二つとも言える決闘が展開されていた。まさしく交霊術の成せる技……北崎弥生はそう述べる。それは、己への絶対の自信の現れなのか。
「どうしたサツキィ! こんなもんじゃ俺は満足できないぜ。準備運動にもならないぜ!」
「くっ……」
(さあ、如月。私達の勝利へ向けて、勝ち続けましょう。勝ち続けることで私達は完璧になる)
「ああ。全部押し流してやる。敵も、命も、運命も、この俺が世界最強の決闘者になる!」
(世界最強――大きい。そしてそれを夢見る資格もある。とても私の勝てる相手じゃなかった)
 その後も北崎弥生&西野如月のタッグデュエルは完璧の一語。シングル戦におけるタッグデュエルという現代科学技術の盲点をついたタクティクスは皐月を軽々と押し流していく。北崎弥生の安定した防御をテコに、《サブマリンロイド》の爆撃と、《水陸両用バグロス Mk−3》の水流が、西野如月の水撃が防御手段のない皐月のライフを押し流す。大勢は……既に決した。

北崎弥生:4000LP
西川皐月:1000LP


 西野如月の猛攻撃により皐月は既にボロ雑巾のようになっていた。身体は思うように動かず、心は痛めつけられ、応援するものもなく、寄る辺もない。
(誰か助けて……なんてね。そんなこと言って……)

 そんな折、「それ」は起きた。

(え? 決闘盤が光った? これっていったいなに? なんなの? 誰も気づいてない。私だけに?)
 たった1つ、彼女は自分に残されているものの存在を思い出した。曰く「迷いを断ち切るもの」
(超常現象。これ、超常現象!? 信じるのは難しいけれど、私の頭がどうかなって幻覚をみてるのでなければこの決闘盤が起こした奇跡に違いない。なにをみせてくれるの? もしかして……)
 このとき、奇跡という言葉が持つ肯定的なイメージにより皐月はある種の期待を抱く。不思議と現象の発生を疑う気にはならなかった。目の前の相手が散々いかれていたために最早疑うのが面倒臭くなっていたのかもしれないが、彼女は乗りかかった船に乗ることを決めた。奇跡よ、私に力を――
(えっと……あれは? 北崎の身体からみえるのは…オーラ? まるで砂時計みたいな形)
 それははっきりとしたイメージだった。まるで物の本質が視覚化されたかのような状態。
(あれが北崎と西野の持つ力? 大きい。そうだ。じゃあ私のは? 私のはどのく……)
 次の瞬間だ。皐月は内心絶句した。それは、北崎と比べあまりに小さく、儚い塊に過ぎなかったのだ。
(あっちの方が私より……。それだけじゃない。北崎はやはり決闘狂人。2人分もってるんだ。ノーマルな私が綺麗な丸なのに対して向こうの形は砂時計。丸が二つくっついているような形をしている……あれ? 光が消えていく。なんで? 元に戻っていく? ちょ、ちょっと折角奇跡を起こしたのにそれだけって……)
 皐月はデュエルフィールドに意識を再度落ち着けた。何も起こっていない。決闘の展開も変わらない。何一つ変わらずそのままだ。北崎/西野は依然として皐月の前に立ちふさがっている。皐月はポカンとしていたが、直にある解答に辿り着く。その表情に色は無し。眼にも力がこもらない。
(そっか。そういうことか。確かに、迷いを振り切ってくれる決闘盤だこれ)
 西川皐月はある解釈にたどり着いた。それは彼女にとって……。
(正論。超常現象起こしてまで言うことかって気もするけど正論だこれ)
 ライフもなく、戦略もなく、おまけに覇気もない。そして目の前には決闘狂人。
(この決闘盤はみせたんだ。圧倒的な力の差を。私と決闘狂人の間にある明確な差異を。そして、伝えたんだ。しがみつくな。“諦めろ”って。『サレンダーのススメ』ってわけ。ハハ……)
 彼女の心は折れた。否、彼女は既に自分が折れていたことをはっきりと認識した。
(帰ろう。どっかに。たとえば海の底とか……)
 彼女がそう思ったとき、《アビス・ソルジャー》は残る最後の壁を貫いていた。


第56話:五月病患者はのたれ死ぬ(後編)


 
彼女が居ようとする場所は鶏口でも牛後でもなかった。彼女からすれば、牛の最後尾が惨めなのは勿論のことだがさりとて鶏の頭も御免こうむる。お山の大将は闘わなければならない。だが彼女は闘わない。彼女はなにも産まない。そう、彼女が生まれてこの方行ってきたのは飽くなき勝利の追及ではなく、彼女自身が己の視界の中でどの位置を占めているかの確認と調整に過ぎない。彼女は世にいう天才ではなかったが、1つ、技術“のようなもの”を持っていた。それは妥協である。身の丈を超えない適切な目標設定と情報遮断を行うことで彼女は勉学においても運動においても趣味においても常に特定集団内での一定水準を備えることに成功していた。そこには常にドライな感情が根ざしていたがそれゆえに彼女の日常は安定する。周りからみても「皐月ならたぶん大丈夫だろう」という安定感。己の器に自信を持つことなど到底できない彼女にはそれが重要だった。

 彼女はある事実に気がつく。新堂翔や元村信也にはあって自分にはないもの。維持を目的とした、効率を高める妥協精神では追いつけないもの。それは向上心。彼らは素人の段階から彼らなりのアプローチで必死に己を高めようとする。彼女は誰にも負けまいとして勝負に臨むがその「誰にも負けまい」はカードゲーム界のトップを走る森勇一の「誰にも負けまい」とは異なりフィクションの産物だった。彼女は相手が森勇一であろうとも西川瑞貴であろうとも果敢に闘い善戦した上で敗れる。次回以降に期待を持たせる敗北。傍目にはそうみえる。彼女自身も悔しがる。しかしそれは偽りの精神反応。彼女のいう、一番になりたい、誰にも負けたくない、という態度には熱がなく。彼女の散漫な意識はそのとき虚空をみつめていた。
(そんな大層なものを欲しがった覚えはないんだけどな)


「あーあ。ほんとタッグパートナーが欲しいわ。どこかに超エンドサイク※な男落ちてないかなあ」
 ※女子高生用語でイケメン、クール等の意。転じて、エンドフェイズに《サイクロン》を打つテクニック。
「森君に頼めばいいじゃん」 「無理だって。絶対断られる。第一釣り合ってないじゃん」
「そりゃ森君は超エンドサイクだけど、かよもそんなに自虐に走ることないって」
「私のことよりさちの彼氏なんかどうなん? 結構エンドサイクな噂聞くけど」
「サクエス※の噂も絶えないけどね。さちのやつ、カードを大分貢いでるらしいよ」
 ※女子高生用語でサクリファイス・エスケープの略。落ち目の彼氏(彼女)を捨てて傷を浅くすること。転じて、モンスターを生贄に捧げて相手の除去を回避しつつ反撃の狼煙をあげること。
「炎属性。相当カード使いが荒いみたいだからさ。余計さちにコストの負担がかかっちゃって」
「いるいるそういう男。アドもろくに考えず夢ばっかり語って周りがドン引きしてるのにも気づかない勘違い男。だけどそういうのに限って釣られちゃうダメンズデュエラーが結構……」
「あくまでソースなしのスポイラーだから」
「そうだといいんだけどさあ」
「ニュースニュース大ニュース。」
「ノリ子。ニュースニュースってあんたのニュースがトップデッキだったこと皆無じゃん」
「今日のは特別。ねえ聞いた? さちの話。さちってばスリーブつけずに彼氏とTAGしちゃったらしいよ。お互いの愛を確かめるため、なんてさ。だけどその所為で召喚問題にまで発展しちゃって」
「うっそ。それでどうなったの?」
「それが最悪。彼氏の方は土壇場で日和っちゃったわけ。で、
手札コストにしろ(おろせ)って連日言い聞かせてるみたい。だけどほら、さちって思いこんだらワンショットキルなところあるじゃん。召喚して攻撃(産んで育てる)の一点張り。だけど《炎獄魔人ヘル・バーナー》、しかも通常召喚でしょ? 後々の決闘(じんせい)のことを考えたらアド損(リスク)が大き過ぎるってみんな説得してるんだけど全然聞いてくれなくて。私も一応中学から付き合い長い部分もあるし、あのままさちを放っておけないっていうか」
「サツキ、今のやりとり聞こえてたでしょ? 相談のってあげて」
「ねえサツキ。さち、
通常召喚しちゃう(産んじゃう)のかな……」

 後日、《炎獄魔人ヘル・バーナー》は無事特殊召喚されたという。

「いるのよね。KY(環境読めてない)の癖に無駄に個性派ぶってるやつ。私が前に付き合った男はビートダウンだったんだけどさ。どう考えても今期のメタは《収縮》一択だったのに《突進》ガン積み。これが俺の生き様とか超きもい。その場は愛想笑いしといたけど、もう長くはないなって(笑)。案の定別れた矢先に一回戦負けしてまた負け惜しみ。腕がないだけだろって誰かいってあげればいいのに」
「わかるわかる。それデッキじゃないだろ紙の束だろって。なんでわかんないんだろうね」
「うちの教諭もマジ最悪。ドローを一々みせつけてくるとかあれもうデュエハラじゃない?」
 ※デュエルハラスメントの略。
「うっそ。早いうちに手を打たないといつか酷いことになるかもよ。なんなら私がメタろうか?」
「ありがとサツキ。やっぱ持つべきものは友達よね」 「なーに言ってるのよまったく」

 後日、教諭のドローはもれなく《はたき落とし》されたという。


(普通でよかった。普通に相談とか協力とかさ。あれ? じゃあなんでこんな必死こいてズタボロになりながら決闘なんかやってるんだろ。そりゃあ、やっぱり、負けたくないから?)
 自問自答。そんなときほど哀しいぐらいに思考が進む。
(負けたくない。誰にも負けたくない。誰にも。じゃあ誰にもの誰って誰? あれ? 本当の意味で誰かに勝ちたがったことなんてあったかな。相手が本当の強豪なら善戦できればそれでよくて。ある程度認めてもらえればそれでよくて。だけど下から湧いて出る輩に歯牙にもかけられずに置いていかれるのは許せないっていうか、許せないっていうか、単に怖くて。そうだ。怖いんだ。なんで怖いんだろう。独りぼっちになっちゃうからかな。ホントは独りぼっち、か。確かにあいつらの言うとおりかも。すぐ不安になる程度の寄り添い具合。そう、固く結ばれたあいつらには孤独感なんて……北崎に西野、弥生に如月……)
 そのときだった。彼女の中でうっすらとだが繋がる線。
(あれ? ちょ、ちょっと待って。そうだ。あのとき……だけどあいつらは変態じゃない)
 不思議な感覚だった。彼女が己を見つめれば見つめるほどに、何かが少し違ってみえる感覚。
(変態に常識は通用しない。だけどこれは常識とかじゃなくて……だけど今更……)

「どうした西川皐月ィ! ぼうっとしやがってそれでもカードゲーマーか? ならとっとと消えな!」
 《アビス・ソルジャー》の銛が《仮面竜》を貫き、引き抜き、そして叩き伏せる。まるで己の力を誇示するかのように。依然として勝ち目なき闘い。だがそんな折、皐月の眼は開いた。
(カード……ゲーマー……。そうだ。私はカードゲーマーだった。そして私はここから消えるのが怖いんだ。ならなにができる? 最初にすべきことはなに? カードだ。カードをみなきゃ……みていい?)
 彼女は《仮面竜》の効果を発動した。デッキを外し残り約30枚のカードを扇状にして確認する。
(私の閃きが確かなら勝敗はともかく少なくともやることはある。だけどそのためにはデッキが応えてくれることが必要。今更? 自分のデッキもどっかにやっちゃう私が?)
「どうした? 早く出すカードを選びな! おまえのデッキはその程度か?」
(その程度よ!)
 声に出せない哀しい返事だった。しかしそれでも尚彼女は気の向くままに組んだデッキを眺めた。
(おっしゃる通り。その程度。だけどさ。これが私の組んだデッキなら、たとえどんなに酷いデッキだとしても私のデッキ。私が見捨てたら誰が拾うのよ。そして今は決闘中。カードはここにある)
 皐月はあることを思い出した。それはあまりに原始的な事実。彼女は墓地に送られた《仮面竜》を提示、効果を発動した。カードは裏切らない。たまに裁定が変わるが、大抵はそこにある。十分だった。

「デッキから生贄竜(サクリファイス・ドラゴン)を守備表示で特殊召喚」
(一つだけ嘘じゃないことがある。本当は、本当の本当は負けたくない。誰にも負けたくないの裏には誰にも負けたくないフリがあるかもしれないけれどその裏にはやっぱり誰にも負けたくない。てか勝ちたい。身も蓋もなく、ただ勝ちたい。現状維持がボツだから勝ちに行く。馬鹿げてる。それが難しいから中庸を目指してるのに。だけど勝ちたい。負けてもいいから勝ちたい。負け犬になっていい。ただそれでもこのデッキで勝利を目指したい。だって、だって、私だって好きでやってるのよ。好きでやってて、だから勝ちたくて)
 彼女は諦めた。自分の中にあるネガティブな感情を受け入れた。それにより、非常に単純なことを思い出すことができた。それは目の前の相手に勝利したいという誰もが抱いていい筈の感情。そして同時にもう1つ、己の弱さを把握することでもう1つの可能性に気付きつつあった
(さっきみた光景。別の解釈ができるような気がする。あの二つの青と赤の丸はひょうたんのようにくっついていた。そのどちらもが私よりも大きかったけれど、だけど赤と青の大きさは同じじゃない。まるで《氷炎の双竜》のように。そういえば前のターン、向こうは《アビス・ソルジャー》の能力を発動、手札を捨てて壁を戻して殴るという選択肢もあった。私のリバースを警戒したのかもしれないけれど……)
 皐月は考える。あの西野如月の押せ押せ決闘なら手札1枚分くらい気にせずガンガン殴ってきてもおかしくなかったのではないかと。事実として、皐月のリバースは《ゴブリンのやりくり上手》。もし壁をバウンスされて殴られていたなら虎の子の《リビングデッドの呼び声》が肉壁となる《ミラージュ・ドラゴン》の蘇生に費やされていたことだろう。その上ライフを更に400削られ《サブマリンロイド》の一撃で死ぬところまで追い込まれいた。もっともこれは結果論といえば結果論。向こうは手札の充実と、主なダメージソースであるダイレクトアタッカーによる攻略戦の貫徹を臨んだ。そこに現状乱れはない。
(そりゃどっちにしろ現に今私は死に体なんだから判断ミスとまでは言えない。言えないんだけど……)
 皐月の脳裏によぎる影。皐月は、何かに突き動かされるように動きだした。
(あれは本物の交霊術じゃないような気がする。だけど、1つだけ言えることがある。少なくとも、私にはアレが単なる演技には見えない。だとすれば、だとすれば呼び出せるかもしれない……『影』を)
「そろそろ終幕かしら? 《サブマリンロイド》を守備表示に。カードを1枚伏せてターンエンド」
(なにもできないかもしれない。だけど、それでもなにかしたい。ここまで景気よくやられれば恥も外聞もない。やれそうなことをやる。試合放棄はしない。最後まで闘う。それでも、好きだから)

5周目(ターンプレイヤー:西川皐月)
北崎弥生:ハンド1/モンスター3(《サブマリンロイド》/《アビス・ソルジャー》/《水陸両用バグロス Mk−3》)/スペル4(《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》/《伝説の都 アトランティス》/《リビングデッドの呼び声》/セット)ライフ4000
西川皐月:ハンド2/モンスター1(セット)/スペル3(セット)/ライフ1000

「ドロー……《ゴブリンのやりくり上手》を順次発動。(全部で3枚引いて2枚は戻す。さあどうなる?)」
「ふーん。ここにきて手札交換。だけどここから何ができるのか。さあ、やってみなさい」
(何ができるか、は、こっちの台詞。西野は今最高潮の筈。そんな西野に出来ること……そしてそのために私になにかできるとすれば……)
 1枚目の処理を終え2枚目の処理に映る。皐月の手札に飛び込んだのは2枚のカード。
((《真紅眼の黒竜》に《黒炎弾》。美味しいカード。本当に美味しい。だけど相手は決闘狂人。のりにのってる決闘狂人。わかる?)
 熟考の末、皐月は1枚目で手札で腐っていた《スタンピング・クラッシュ》を、2枚目で「もう1枚のカード」を、それぞれデッキに戻す。彼女の腹は、決まった。
「ターン続行。私は《クロス・ソウル》を発動。守備表示の《生贄竜》と貴方の《アビス・ソルジャー》を生贄にレベル7の《真紅眼の黒竜》を召喚! (やるだけやってみる。私はここで、何をやってもいい)」

生贄竜(サクリファイス・ドラゴン)
効果モンスター
星4/闇属性/ドラゴン族/攻200/守1800
ドラゴン族モンスターを生け贄召喚する場合、 このモンスター1体で2体分の生け贄とする事ができる。このカードを生け贄にドラゴン族モンスターの召喚に成功したときデッキから2枚ドローして手札から1枚を墓地に送る。

《真紅眼の黒竜》
通常モンスター
星7/闇属性/ドラゴン族/攻2400/守2000
真紅の眼を持つ黒竜。
怒りの黒き炎はその眼に映る者全てを焼き尽くす。

《生贄竜》の効果。デッキから2枚ドロー、《ブリザード・ドラゴン》を墓地に送る」
「中々。及第点はあげる。《クロス・ソウル》のデメリットは《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》がある以上ないも同然。その上貴方と私のモンスターを生贄にすることでアドヴァンテージを得る。悪くないわ。流石と言いたいけれど生憎その《真紅眼の黒竜》では如月のダイレクトアタッカーを止めることはおろか私に傷1つつけることもでき……」
「今すぐ焼いてあげる! 手札から《黒炎弾》を発動!」
「それが浅はかというのよ! 《ダメージ・ポラリライザー》を発動!」
「くっ……」
「さあ1枚引きなさい。もしかしたら二枚目の《黒炎弾》を引けるかもしれない。その上手札にもう1枚あれば無条件で貴方の勝利が確定する」
(やっぱり。隙がないのは勿論、何故ここで《ダメージ・ポラリライザー》なのかそのセンスが全くわからない。それを敢えてねじ込んで優位に立ってみせるこの理不尽感ときたら!)

 まさに鉄壁。北崎弥生は実に堂々としたふるまいである。自分がそんなことで落とされはしないと、己の守備勘に絶大な自信を抱いているのだろうか。事実、弟に攻撃を委任した北崎の守備に揺らぎはない。皐月もそのことは既に十分思い知っている。むしろ思い知っているからこその《黒炎弾》。
(北崎弥生の守備勘は完璧。うん、確認した。私より上だこれ)
「確かに確率論的にはそっちが有利だと思いますが、たとえ今引かなくともここで1枚引かせれば次のターン以降のドローは1歩分早まる。その余裕が命取りになることだって……」
「あるかもね。だけどその台詞は次を生き残る目処を立ててから言うべきよ」
(目処、か。ならこれ!)
「リバース、《リビングデッドの呼び声》。《ブリザード・ドラゴン》を特殊召喚。効果発動」
 《ブリザード・ドラゴン》の能力。それは瞬間凍結。凍らせてしまえば動かない。
「《水陸両用バグロス Mk−3》は、次のエンドまで表示変更と攻撃が封じられるわ」
(おいおい。バグロスが凍っちまったらダイレクトアタックの分が200足りないぜ)
(安心しなさい。どうせ無駄な抵抗よ。逆に考えれば、この程度しかできないってこと)
(確かにな……次の次あたりにとっとと決着をつけてやる)
(あいつらはこの程度でオタオタするタマじゃない。だけど、やることはやった)

6周目
北崎弥生:ハンド2/モンスター1(《サブマリンロイド》/《水陸両用バグロス Mk−3》(凍結中))/スペル3(《グラヴィティ・バインド−超重力の網−》/《伝説の都 アトランティス》/《リビングデッドの呼び声》 )ライフ4000
西川皐月:ハンド3/モンスター1(《真紅眼の黒竜》/《ブリザード・ドラゴン》)/スペル1(《リビングデッドの呼び声》)/ライフ1000

「ドロー……《真紅眼の黒竜》たあ少しは面白いもんを出してくれるじゃないか」
(ここだ! 会話を好む如月が相手なら、ここしかない)
「そりゃそっちよりはね」
「なんだと?」 「さっきからセコセコ削ってくるだけじゃない。北陸最強の攻撃屋とは思えないわ」
「てめえ……」 「そりゃ最初は攻撃の波動に驚かされたけど。新堂の貫通はこんなもんじゃないわ」
 彼女はなんの躊躇いもなく翔の名前を出した。言うまでもなく、この場に新堂翔は何一つ関係ない。新堂がどうであろうと彼女と如月の実力差は―当然のことだが―変わらない。しかし彼女はその名前を出した。理由は単に新堂が攻撃型の実力派だったからに過ぎない。過ぎないとはいえ、以前の彼女ならおそらくできなかっただろう。なぜなら彼女もまた元々攻撃型の決闘者である。そんなところで自分ではなく翔の名前を出すということは自分から負けを認めているに等しい。しかし今の彼女に躊躇いはない。既に彼女は死に体であり、そして死に体であることを受け入れている。受け入れている以上、見栄を張る理由は最早どこにもない。
「そうじゃない。私のモンスターがロックカードに囚われているのをいいことに、その脇をすり抜けてみみっちく加点して……あ、ごめんなさい。言いすぎたわ」
 ここで一歩引く。おくゆかしきは日本人の美徳なり。
(のってこなければ私は100%負ける。だけど、一歩でものってくれば私にも1000分の1の勝機がある)
「かまいやしねえぜ。言いたいことがあればはっきり言うんだな! 俺は包み隠すのが嫌いなんだよ!」
(のってきた! だったら!) おくゆかしきは日本人の美徳なり。
「あ、そお。じゃあ構わず言うけど、貴方って、結局は北崎弥生の《オプション》に過ぎないのよね」
「俺が……《オプション》だと!?」 「だってそうじゃない。結局は、姉に合わせて動いてるんでしょ」
 皐月は自分のことを棚に上げた。自分が誰かの《オプション》に過ぎないという発想、それこそ当の自分が裏に抱いていた発想。軸の欠如。だが、それだけに皐月には相手の急所が、打ちどころがみえたのだ。自分の弱さは自分だけのもの。しかし似たような弱さを誰かが抱えていることなどこの世には日常茶飯事。だとすれば?
「(気にしないで如月。苦し紛れに、貴方を挑発しているだけ……)うるさい! 証拠はどこだ!」
(証拠、ね。なんかこじつけるのもいいけど、ここはむしろ、相手の自覚症状にかける!)
「そんなこと言われても……あ、そうだ。自分でわかってるんじゃないの? そういうのって」
 皐月は部内でも的確な判断力とそつのない闘いぶりには定評があれど、それほど弁舌に長けているわけでもない。だがそんな彼女にも、有効に使える魔法の言葉。「自分で分かってるんじゃないの?」
(自分で……そうだ。手札には最強の切り札がある。俺が最も愛してやまないこいつ。俺そのものといっても過言ではないこいつ。水系最強のこいつ。こいつならこのターン内に決着をつけられる)
(やめなさい如月! 向こうは既に死に体。じっくり2ターンかけて倒せばそれでいいのよ)
「あ、ごめんなさい。ちょっとエキサイトしちゃって」
 いったんあやまってみる。そして相手を合法的に挑発できる、素晴らしきフレーズを使用した。
「ホントはちょっと、激ツヨな戦略に嫉妬してただけなの。これ、最終戦だから。ほんとごめんなさい」
 それは、西川瑞貴の双子の片割れとして言われたくない台詞ベスト3入りの台詞であった。「こっちは残りもんに醜くしがみついてるだけなのに上から目線で嫉妬とか言うなボケ」。彼女はそう思ったという。
「いいぜ別に。勝負の場、そういうのはお互いさまなんだからよお。はっは……」
 眼は笑っていなかった。
(殺す)
(やめなさい如月。姉さんのいうことが聞けないの。2回殴ればそれでいいの)
(うるさい! 俺の全力をみせてやる。アイツは俺が殺す。邪魔をするなぁ!)

「場の《サブマリンロイド》を生贄に、俺のエースを召喚する。現れろ!」
(これは! これが如月の本気! この殺気、私を潰すほどの殺気!)
 突如としてアトランティスを囲う海が大きく揺れる。それは、十メートルを遥かに超す高さの津波を産み、その来訪を予感させた。と、そのときだ。海が割れ、巻き上がる水柱、現れるは海の巨龍!



Levia-dragon - Daedalus



「俺の力をみせてやる。ダイダロスの効果を発動。海を纏って飛翔しろ! ダイダロス!」
 ダイダロスはアトランティスの「海」にもぐるとその全ての海水を吸いあげ、海の化身となって飛びあがる。飛びあがったダイダロスは上空から両フィールドをまたぎあたかも『橋』のように君臨、そこから漏れる一滴一滴が鋭い水の槍となって雨あられとフィールドに降り注ぐ……そう、この技は発動後、空に残った水滴が光を反射することで美しい虹の橋が残ることからこう呼ばれる。



Daedalus - Bridge



「フィールド上を一層。これで終わりだ! バトルにダイブ! リヴァイア・ストリーム!」
 最大最強の大技。如月の顔には自然と笑みが浮かぶ。勝利の恍惚――
(勝った。これが俺の力……) 「貴方の気持ち、わかるけど、わかるから切ないのよね」
 だが皐月はどこか憂うように前を見た。彼女は目を逸らさなかった。
「なにぃ!?」 「つらいわよねお互い。半端者は……手札から《クリボー》を捨て効果発動」
 誘い出し。しかし従来のものと違うのは、心の在処。心の処遇。心の行方。
「そ、そんなものが……」 「皮肉よね。心の弱さ故の癖が、私を救うんだから」
 皐月は如月のことが嫌いではなかった。しかし、それゆえ、思うことがある。
「くそ! 半端者だと? 誰が! そんなもんこんな手に頼るおまえだけだろうが! 俺には敵が見えている。俺には道がみえている! 俺には栄光がみえている!」
 激昂する如月に対し皐月は、この試合初めて対戦相手を睨みつけた。
「もし貴方に過失があるとすれば、それは俺俺の俺俺主義。現実から目を逸らして俺が俺がもないじゃない。もう一方は私達って言ってるのに。一緒に戦ってるのがみえてない」
「な……そんなもん俺が選んだわけじゃない。俺は……俺は……」
「誰も私らを救っちゃくれない。決闘者も、決闘盤も、カードも、何一つ私らを救っちゃくれない。だけど、だけど、いつもカードはそこにある。構えた決闘盤は、フィールドは事実を事実として伝えてくれる。カードは嘘をつかない。嘘をつくのは人間! 自分だけ特別なつもり? 子供が甘ったれてるんじゃない!」
 誰に言っているのだろうか。うっすらと、目からは涙がこぼれおちていた。
「なんでだ。なんで倒せない。なんで倒せないんだぁ!」
 皐月のそれはまるで己が身を切るがごとく。西野如月、後退。
「くっ、如月を惑わしたおまえ、許さない」
 北崎もまた眼に怒りをともす。だが皐月はひるまない。
(本体の登場。強さは感じる。だけどもう、恐怖はない)
「じゃあどうするっていうの?」
「こうするのよ!」

 北崎の身体から溢れる力が、水の引いたフィールドを覆う。

「《禁止令》を発動」 「!?」 「まだだ。まだまだ……」
 フィールドを覆うもの。それは、北崎弥生の執念か。
「《洗脳−ブレイン・コントロール》を宣言。そして手札から《封印の黄金櫃》を発動。デッキから、そう、《レベル制限B地区》を除外」
(《エネミーコントローラー》も脅威といえば脅威。しかしアレは洗脳に比べ適応場面が限られる。それに比べてここでの洗脳は1400以上の下級と並べてアタックするだけでゲームを終わらせる力を持つ。ふふ、重量級が魅力のドラゴン族、それも《クロス・ソウル》を投入する構築でまさか洗脳が入ってないなんて言わないでしょ?)
(やはり強い。的確にいいとこをついてくる。だけどそこに決闘狂人特有の、あのわけのわからない変態じみたキレは感じない。乱れた歩調を正論で抑え込もうとしている。変態が正論? 笑わせないで。もう賽は投げられた。後はいくだけ)

「ドロー……」
 運気というものが仮に存在するならば、それは誰を選ぶのだろうか。迷いなき決闘狂人の、強き選択に宿るなにかがあったとしても、それは最早過去形に過ぎない。
「800ライフを支払い《早すぎた埋葬》を発動。《真紅眼の黒竜》を特殊召喚」
「この期に及んで《真紅眼の黒竜》程度、最後の足掻き代わりに《黒炎弾》でも撃ってみる?」
 北崎の挑発。しかし皐月は小さく首を振り静かに呟く。
「私がここで《黒炎弾》を撃つことは絶対にない。デッキに2枚しか入ってないんだから。そう、1枚は貴方が打ち消した。もう1枚は海の底。なんなら《サルベージ》でもしてみる?」
(海の底。どういう意味だ。底……ボトム……デッキボトム……)
 そのとき、北崎と西野の脳裏によぎる可能性の波。彼女達はそれを理解した。
「まさかあの《ゴブリンのやりくり上手》の発動時、デッキに戻した2枚の内の1枚は《黒炎弾》!?」
 皐月は何も言わず、ただただ小さくうなずいた。
「馬鹿な! 《黒炎弾》を2連発すれば即死ダメージ。それを手放しただと!?」
「確かに、今までの私なら多分その可能性に飛びついてたと思う。だけど現に一発目は打ち消された。弟の支援を受けのりにのってる決闘狂人北崎弥生相手にそうそう簡単に2発も通るわけがない、でしょ? 貴方達は強かった。私では太刀打ちできないぐらいに。だから私はいっぺん捨てたの。それから拾った。説明終わり」
「わけのわからない世迷い事を。消してやる。この世から消してやる。貴方に私はわからない!」
「わかりゃしないけど、わかりゃしないけど少しは伝わった。貴方の強さと、弱さと。あれだけリアルに近いものを生み出せる力は確かにすごい。だけどそれを生みださずにはいられなかった」
(弥生と如月。その両方から感じたもの。最初はちょっとしたくだらない思いつき。ハハ……弥生(3月)と如月(2月)を足したら……皐月(5月)じゃん。五月病患者は壊れ死ねってね」
 自然と目に涙が滲む。辛く、辛く響くが、それはいつしか血肉となっていた。
「《真紅眼の黒竜》を生贄に捧げ、手札から……特殊召喚!」



Red-Eyes Darkness Dragon



(ダークネスだとお!?)
 レベル9の超上級ドラゴンが飛翔する。北崎も驚くその威容。六枚翼は進化の証。その口からは烈火紅蓮の響きあり。口から洩れる火山性ガスがダイダロスの眼には脅威と映る。
「たった1つの特殊能力……墓地のドラゴン族の数だけパワーをあげる。1体につきほんの300だけどね。墓地には5体のドラゴン。《真紅眼の闇竜》の攻撃力は3900……手札から《未来融合−フューチャー・フュージョン》を発動。《F・G・D》を指定。デッキから5体のドラゴン族モンスターを墓地に送る……先に宣言しておくわ。私はこの《真紅眼の闇竜》で《海竜−ダイダロス》を、西野如月のエースを倒す」
「くっく。くくくく……5400? 5400か。成程認めようじゃないか。確かに脅威ではある。ちょっとした脅威ではあるさ。だがここまで力をためにため、お膳立てを整え、超上級竜を野に放ち、墓地にこれだけの亡霊を集わせ、2800どまりのダメージとは笑わせる。おまえの力とはその程度か!」
「その程度よ!」
「なに!?」
「《フォース》を発動。たとえ私に『力』がなくても、貴方のところにはあるでしょ、『力』が! 《海竜−ダイダロス》の攻撃力の半分、1300を《真紅眼の闇竜》に加え攻撃力は6700」
 チャンスは一度。このターン。鉄壁の守備を放棄してまで誇示された『力』、《海竜−ダイダロス》の『力』を吸って《真紅眼の闇竜》は吠える。そしてそのとき、決闘盤が煌めく――
(これは――そうか。力はくれないけれど、祝砲はあげてくれるんだ)
 それは決闘盤の機械的なエフェクトというには神々しすぎた。皐月は驚き決闘盤を見直すが、それは「迷いを断ち切る」という本人の意思を押し上げるかのように、ある一つの現象を形作っていく。

Red-Eyes B. Chick

Masked Dragon

exploder dragon

Sacrifice Dragon

Mirage Dragon

Blizzard Dragon

Axe Dragonute

Red-Eyes B.Dragon

Red-Eyes B.Dragon

Red-Eyes B.Dragon

Levia-dragon - Daedalus

Dragonic-power full throttle


「決闘盤に《真紅眼の闇竜》の、6700のアタックポイントが収束していく? これは……」
 それは超常現象というにふさわしい光景だった。《真紅眼の闇竜》が決闘盤と一体化、墓地に眠るモンスターを読み上げ、決闘盤に漆黒の『ブレード』が形成されていく。
「この決闘盤……これで……これであいつをぶったぎれっていうの?」
 それはもう誰もが把握できない状況であった。皐月は、多少なりとも爽快だったのかもしれない。超常現象の中心点に自分がいる快感。ふればいいのだ。ふりきればいいのだ。
(や、やめろ。私の、私達の聖域を犯すな。犯すんじゃあない!)
「なあにが聖域よ。自分で考えたもんに反逆されてちゃおしまいよ!」
(あれは私と同じ。揺らぐ心。揺らぐ立ち位置。試しに切ってみるのも……気持ちいいかもね)
「なんだ……この光。俺にとって、どこか心地よいこの光……はっ! ダイダロス! そのまやかしを打ち破れ! 俺を、俺を導いてくれ! この大会の、ひいては決闘者達の頂点に立つことで!」
「悪いけど……ぶったぎる!」 皐月は決闘盤斬剣(デュエルディスク・ブレード)を中段に構え……振り抜いた。



Darkness Giga Slash!



(これは……俺が、俺の……が消えていく。う、うわあああああああああああああああ!!)
 《海竜−ダイダロス》を切り裂き広がる閃光。西野如月はその中で……。
(くそ。駄目か。だがよ。この感触……なんだろうな。悪くはなかったぜ。西川……皐……)
 水のごとく流れるささやかなシンパシーとともに、それは広がっていった。
「え? ちょっとまって? これ……ちょ……え? う……ああ……きゃああああああああ!」
 それは皐月が想像するそれをはるかに超える凄まじさだった。あたりが光に包まれたかと思うと、全ては薙ぎ払われた。常備されていたカードの群れは吹き飛び、補助シュミレーターはスクラップ、一切合財を吹き飛ばす異常なまでの破壊力。それはどう考えても幻想ではなく、単なる現実だった。

「ハハ……迷いを断ち切れたらいいなって思いはしたけど、こんなにぶったぎることないんじゃない?」
 皐月はその場にへたりこんでいた。ほとんど放心状態と化した北崎弥生ともども、目には涙を浮かべていた。腰が抜けるとはこういうことをいうのか。よく表現として腰を抜かすとか言うけれど、本当に「抜けた」ような感覚。変態的な事態。そしてその変態的な事態に一役買った変態が紛れもなく自分であるという感覚。変態とは、変態とはこういうものであったのか。正直、失禁しなかったのが奇跡だと思った。手をみるとまだガクガクとふるえている。しばらくが経ち、勝ち名乗りを受ける。一応、状況証拠からみて勝ったのは自分ということになったらしい。しかし腰を抜かした皐月に余韻に浸る余裕がある筈もなく、むしろ皐月には酷い頭痛が待っていた。
「痛い……あぁ……なにこれ? 痛い、痛い……」
 皐月はそのまま倒れこんだ。何も、わからなかった。たった1つのことを除いては。
(やっぱ、やりきった方が楽しい……)

 皐月は眠りの中にいた。何が起こったのだろう。たぶん酷いことになったのだろう。けどどうでもいいような気がした。一方で、なにか清々しいものを感じるのも事実。しばしの間、心地よい気分に浸った。しかしそんな時間はそう長くは続かない。皐月は目覚めた。感触から自分がベットの上にいることがわかる。そして目の前には……
「気がついた? 大変だったのよ。むしろ現在進行形で大変。フィールドを一個潰しちゃった所為で大会運営に支障がありまくり。また随分とすごいことしちゃったわね、貴方ってば」
「姉さん……」
「なんでも女子高生が剣をふるってフィールドを滅多切りにしたんだって」
「はは。表に出るのがちょっと怖いかも」 「なにがあったの?」
 皐月は首を振って拒否した。たぶん信じないだろうから。それに自分でもよくわかっていない。
(よくわかんない。だけど、私はたしか勝ち名乗りを受けた。ということは次もあるんだろう。次の試合か。あるなら探せる。それはそれで贅沢かも。でもって今日わかったことがある。あんな変態でも、私と本質的にあんま変わらない苦しみを負っていたりするということ。確かに、みんな大変なんだろうな。言葉ではわかってたつもりだったけど……二元論で切って……狭めて……)
 2VS1を生みだすほどに洗練された従人格は従であるが故の潜在的コンプレックスを抱くレベルに達していた。皐月はそれをつつきだす。周りを気にしがちな人間にこそわかる心理。そして、そんなものを生み出さずにはいられなかった北崎弥生。彼女がどんな思いに達していたかはもはや知る由もない。ただ、どこかに依存心があったのかもしれない。変態は変態で大変。そりゃ変態なら大いに変で大変なのだろう。
「どうしたの? サツキってばなんか神妙な顔してるけど……」 皐月は、瑞貴の顔を改めて見た。
「心配とかした? つかもしかして試合見てた?」

「あたりまえじゃない。てっきり大丈夫だと思ってたから圧されててハラハラして」
(ああ、そうか。試合見てくれてたんだ)
「その上アレでしょ? それで倒れたっていうから。何事かと思って。」
「しょうがないじゃん。倒れるときは倒れるって。姉さんだって貧血でぐらぐらとかあるっしょ?」
「レベルが違う。第一私ならともかくサツキがそんな風になるなんて異常じゃない」
(出た。やる気デストラクション。だけどなんていうか、さあ。あれかな)
「えい!」 皐月は瑞貴の頭をポカリとはたいてみた。
「いたっ! なにすんの」
「痛い。そりゃ痛いか」
「はっ?」
(変態を拒絶して距離を置いて理解不能とたかをくくるからそれが跳ね返ってくる。本当は変態だって好きで変態やってるとは限らない。仮に好きでやってても人間は人間、か)
「変態も……姉さんも大変だよね」 皐月は何気なくそう言った。瑞貴は口をポカンと開けた。

人を……変態みたいに言うなー!



【こんな決闘小説は紙面の無駄だ!】
何気に五月生まれだったり。テンションを高めるのに疲れました(今更かもしんないけど)。決闘しようぜ。


↑西川皐月のこの生き様がブーストにいると思ったら。それが知りたい今日この頃。



↑以下略。正直おいどんにはようわからんでごわす。

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