タイトルどおりパンツの本…なのだが或いは「女性の羞恥心のありようについての歴史解釈の本」と考えた方が正確なのかもしれない。
[白木屋伝説の真偽]
まずこの本で強く訴えられていたのは所謂「白木屋ズロース伝説は大嘘だ」ということ。著者の井上章一氏は「恥らう必要のない筈の男性店員も同じくらい死んでいた」「落命したのは六、七階にいた店員が大半だが、地上から六、七階相当の高さにある命綱に掴まる女性の陰部が見えるわけがない」「当然女性側からも野次馬の眼などよく見えない。」「『ロープが役に立たなかったので苦し紛れに身投げして死んだ(大意)』と伝える記事がある」「当時の警察庁・消防当局は火災後パンツの事について触れていない」「当時の有力記事には陰部云々と書かれていない」etc様々な事実を挙げ白木屋ズロース伝説への反証を挙げている…のだが、そこまで調べるまでもなくこの話は確かにおかしい。少なくとも僕の感覚では「そういう話も在るのか。だが眉唾ものだ」くらいなのだが、肥大化された大和撫子羞恥幻想に酔う人間には滅法効くのだろう。皆昔を無条件に美化しすぎだよ。
[古代羞恥心幻想]
僕等が一昔前の女性の恥じらいについて考える時は、大抵二つのミスを犯している。一つは現代の価値観で昔を推し量っている事、もう一つは肝心の羞恥心の出所についてはろくに考えない事だ。 この本の内容が正しければの話ではあるが、昔の女性はパンチラを恥ずかしがらなかったらしい。それどころか所謂―さっきgoogleで検索して確認した単語ではあるのだが―マンチラですらそこまで恥ずかしがらなかったらしい(付け加えると19世紀〜20世紀前半にかけては女性の野外放尿もままあった。露出調教プレイに限らずままあった)。
>陰部をのぞかれた時にいだくたえがたい羞恥心。これはパンツをはく習慣が女たちにうえつけた心性である。パンツによって、洗脳されていった気持ちのありようなのだ。 >彼女達は、陰部の露出がはずかしくて、パンツをはきだしたのではない。はきだしたその後に、より強い羞恥心をいだきだした。陰部を隠すパンツが、それまでにないはずかしさを学習させたのである。 >パンツをはかない時代の女たちは、それほどはずかしがっていない。現代の大胆と称される女のほうが、よほどそのことに関する羞恥心を強めている。 >パンツが女を自由にする。よくあるこういう解放史観の書き手には、あらゆる意味で、反省をせまりたい。
極端な話ではあるが、気の遠くなるほど昔、全裸が通常だった頃の女性は今より遥かに裸に対する羞恥心が薄かった―というより皆無だった―筈であり、そう考えればこの意見にも一理あるといえるだろう。同じタイプの女ならばノーパンだった頃よりもパンツを履いている方が陰部を見せることに対して億劫になる…と考えるのは十分ありえる話。 あと最後に引用した解放史観云々についてだが、昔は(今も?)そういう人が沢山いたらしい。
>ズローズをはいていれば、足をだそうが、ももをだそうが、何でもない。ズロースひとつで、はだかで歩いたって、海水浴に見るように、けっしてみだらではない(Byタカクラ・テル『女』)
こんなの。うん、まあいたみたいなんだよこういうのが。ただ、こんなのに本気出してツッコミいれるのは流石にアレなのでスルーで。
[パンツの変遷とそれに伴うエロ思想の変遷]
この本にあることを纏めると下のようになる。この本の内容の真偽もそうだが、僕自身わりと適当に纏めたので、それなりに注意して読むように。
■ノーズロ時代[戦前](男:陰部が見えるとなんか嬉しい。女:見えてもまあしょうがない←羞恥心低い。) ↓ ■女給ズロース時代[戦前](男:陰部が見えないので全然嬉しくない。女:貞操帯もどきのパンツなら見えてもいいや。) ↓ ■女給ノーズロ時代[戦前](男:普段ズロースを履いている女給が脱ぐなんてエロい。女:エロい。) ↓ (むしろパンツ(ズロース)がエロいのでは?) ↓ ■一般的カラーパンツ時代[1940年代](男:でかいし色気ないのでエロくない。女:あんなもんみえたってエロくない) ↓ ■玄人白パンツ時代[敗戦直後](男:玄人が履いている上に綺麗なのでエロい。女:?)※『白』=洋装下着の伝統 ↓ ■一般的白パンツ時代[1950年代](男:ちょいエロい。女:あんまエロくない←微妙な男女差) ↓ ■玄人カラーパンツ時代[1950年代後半〜](男:エロい。女:エロい←この辺りからパンチラHAPPY) ↓ ■一般的カラーパンツ時代[1970年代〜](男:エロい。女:エロい。)
羞恥心について考える際は服装史のことを常に念頭に入れるべきなのかもしれない。いや、入れるべきだろう。そういう意味でこの本は中々いいところをついている。僕等は羞恥心プレイが大好きな割には、では「羞恥心とは何処から来るか?」とは日頃考えない。だがこの件についてはもう少し真剣に考えた方がいいのではないであろうか。例えば男女の非対称性等については面白そうだ。
ただこの本については疑問の余地もあって、それはズロース≒パンツで通している所。当時のズロースと今で言うパンツを同列に扱っていいのかというのは一考に値する問題だ。だがしかしこの本はあくまで現代人を対象とした本であり 、そして現代人の多くはおそらく戦前におけるズロースと今で言う所のパンツがどう違うのかわからないのが普通であり、従って話をする上での前提となることを考えればこれでいい…のかな?うーん、正直自信ない。実際ここら辺はどんなもんだろ。例えば昔のズロースは今でいう水着のようなものだから、現代におけるパンツと対応させるのは間違っているという批判があったとしても、じゃあ何故その時代のズロースが「水着のようなもの」として扱われたかは考える余地がある筈。似たようなもののように見えるにも関らず時代によって実は扱いが違う。にも関らず僕らはどうせ同じだろうとたかを括っているという現実。さあどうだ(例えばブルマだって今の方が昔よりも着る際に恥ずかしいと思うんだ。そしてエロく見られると思うんだ)。
あとここから先はTCGを知らない人にはさっぱりなことと思われるのでスルーしてもらいたいところなのだが、カラーパンツ時代が二度も来ているのがカードゲームにおけるメタゲームのようで笑える。
[TCGの場合] 「リシャーダの港が流行する」 →「リシャーダの港への対策カードを入れるのが流行する」 →「相手の対策カードを無駄にさせるため、リシャーダの港を使わないデッキが流行する」 →「リシャーダの港に対策しない人が増える」 →「対策カードが環境にないので、リシャーダの港入りデッキが再び流行する」(振り出しに戻る)
[パンツの場合] 「カラーパンツが流行。金銭的にそれ以外の選択肢がなかったので、それ以外のパンツが流通しない」 →「カラーパンツより男を惹きつける白パンツが開発され、環境を支配しはじめる」 →「アンチ白パンツとしてカラーパンツが台頭する」(振り出しに戻る)
な。なんか似てるだろ。そう、エロゲームはメタゲームなんだ。
「白が清楚」なんてのもよくよく考えれば、日本においては大した根拠がなく、結局はどれもこれもメタの産物なのかもしれない。流石に断言はできないが、そう考えてみると中々面白い(どうでもいいが現代において“白”“清楚”で検索すると『近親相姦 白下着の清楚母』が一番上にヒットするのはどうしたことか。まあ『清楚』なんてワード、最近は汚す目的以外で使われたの見たことないしそんなものなのだろう。清楚高田とか)。
まだまだ幾つかあるのだが長くなってきたので続きはPART2で。
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